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思考するときの視点の話

前回(って、10分くらい前)
こんな風に書きました。

昨今はプレゼン重視、
「始めの3秒が勝負」とか言われちゃう。

だから、人は第一印象だけで
多くの「もしかしたら大穴」情報を
闇に葬っているんでしょうね。
的な感じで書きました。

でも、こういう風にも言えるよね。

「いやいや、井上さん。
プレゼンがそれだけ大事ってことだから
いかに質の高いプレゼンをするか、
昨今の人はすごく考えていますよ!」

確かに。
いろいろ勉強してみれば
「みんな、よく考えてるな~」
と唸ること然りである。

じゃあ、それと前回出てきた
「人がどんどん考えなくなる」
この関連性は?

答えはすぐに出てきた。
それは、

ミクロに偏り過ぎて
マクロが見えなくなるの説

である。

ミクロとは、顕微鏡でどんどん覗くと
そこにあることが見えてくるような、
「専門性の極み」みたいな世界。

マクロはその逆で、
日本→アジア→地球→太陽系→宇宙
みたいにどんどん視座を高くして
「全体としてどうなの?」という世界。

相変わらず井上定義であるが
そこまでズレていないと思うので
このまま先に進みます。

ザックリ言うと、モダン社会は
どんどんミクロ化していて、反動で
マクロの必要性も高まっている。

〇〇の専門家、というのが増えている。
それはそれで、大切なことである。

一方で、医療などで顕著だけれど
専門家をたらい回しされるという現象も
あるあるになっている。

「反動として求められるマクロ」が
管理職ということになる。

どっかで見たんだけど、
これからアメリカでますます需要が高まる
職業のトップ10だったかに
「マネージャー」が入っていた。

医療やITの専門家とともに。

つまり、ミクロの専門家も大事だけど
それを適所適材で配置できて
全体をうまく回していける
マネージャーという「専門家」が求められる。

なんか入れ子構造になってるけどね。
マクロを扱える専門家がいなければ、
せっかくのミクロの価値が活かされない、
ってことなのだと思う。

だから、プレゼンに入れ込んで
一秒で観客の心をつかみ
圧倒的な感動でフィナーレを起こすには
どうすればいいか、考えるのも価値がある。

同時に、そうした圧倒的なスキルで
手にするリソースを
「どこで、どう使うか」ということを
一所懸命考えることにも、価値がある。

前者も後者も大切だし、
両方の視点と意識はあった方が良いと思うが
人それぞれ、適正はあるとも思う。

「人がどんどん考えなくなる」
ことを懸念するのであれば、
提案としては

「その考え方、ミクロ?マクロ?」
「マクロの視点で見るとどうなる?」

まず、そこかなぁ。
そして「どうなる?」と言われて
「分かんない」と思ったら
質問したり、調べてみようよ!と思う。

マクロ論の究極が
「人はナゼ存在するのか?」
「人生とは?」
みたいな感じになるんだと思う。

ミクロとマクロ、
行ったり来たりが大事だね。
陰陽だね。自然の摂理。
今日はここまで!


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