第2章 No.2って何?愛すべきその役割と重要性 05「人を身近に感じる、こころのアンテナを立てる」
禅の世界に、こんな概念がある。
一体一如。
これは、対象のもの(モノやコト、人)とひとつになることを一体と呼び、それとひとつになった状態で行動することを一如という。
すべてはひとつ。嬉しいことも悲しいことも、一心同体で行動する。つまNo.1もNo.2も一体で一緒。例えば、No.2の小指から血が出ていると、それはNo.1となっている人もまるで自分の小指から血が出ている状態になっていること。
一心同体だから考えていることだって分かるようになる。だって自分の半身だから。
「どうして1年生の僕に、そんなに真剣に説教してくれるんですか?」
たまに指導している若い社員がそんなことを言う。
それは私とあなたが出会った以上、私の人生の一部となっているし、あなたの人生の一部には少なくても私がいることになる。私とあなたは同じ体を共有し合っているといってもいい状態。だから相手のことを想うときは、自分事のように想うようになれる――。私はいつもそう伝えている。
私は誰かのNo.2であるという自覚を常に持っている。私がNo.2のポジションに収まりたいと考える人たちは、すべて私の無意識下の中にある。例えば、ふいに「あの人はいま、お昼ごはん何食べているかな…」と思うのもそう。自分の半身だから頭に浮かんで気になってしまうのだ。
私のNo.2ポジションを務めてもらっているひとりに、秘書のキハラがいる。これはポジションの上下関係の話ではなくて、一体一如で考えるとキハラにも健康でいてもらう必要がある、と日々想っている。
キハラの健康状態が悪く倒れてしまうと、それは私の中でも半分倒れることになる。そうすると100の力で走れなくなる。
自分の半身だと考えると、当然その人の健康状態も気になってくるだろう。だから何を食べているかなどいちいち気になるわけだ。時々キハラに聞く。「何時に寝たの」「何を食べたの」とか。だってキハラに健康でいてもらわなければ自分も困るからだ(笑)。
自分が支えたいと思い、No.2になりたいと思う存在は、たとえ物理的距離があっても気になる存在のはず。
よく、ドラマなどの一幕で、枝がバキッと折れ「虫の知らせだ」となるシーンがある。(そんな演出はもう古いか…)私はそんな経験を頻繁にしている。
例えばある時、腰がとても痛くなった。で、ある友人が頭に思い浮かんだので早速連絡してみることにした。
「あなたいま、腰が悪くない?」
「なんでわかったの!?」
「だってわたしがいま腰が痛いから。あなた身体がゆがんでるでしょ?私もそうだから、きっとあなたもおんなじ状態だと思ったから!」
こんな調子である。
表面的な心配じゃない。いつも半身くらいに思っている存在だから気になるし、連絡したくなるのだ。相手に思いを馳せて、フォーカスしたことが自分に信号として伝わってくる。そう、こころのアンテナが立っているということだ。
どうしてゆっきーはそんなに勘がいいの?とよく周囲に言われる。答えは明快。いつもその人のことを考えているから。
もうひとつエピソードを。
ある日の夜、歩けないくらい仕事で疲れて、帰宅した瞬間ソファーにバタンキューしたときがあった。だけど、深夜にガバリと起きて、物置き部屋からスーツケースを引っ張り出し、そして荷造りをして、それをキハラに画像付きで報告したことがあった。
次の日が出張だったのだ。キハラは日頃、私が出張の準備を前日にやらないことにやきもきしていた。今回もスーツケースの用意を怠るだろうと心配していた。そのことをふいに思い出した私は、急いで準備を終えたのだった。
深夜だったけどキハラに連絡した。ただの業務連絡だったら絶対にしない時間だったが、朝起きてメールを見た彼女を安心させたかったから。
眠くて疲れていたけれど、ついでに倉庫の片付けもできた。ものは考えようだ。おしつけがましいかもしれないけれど、今回の行動は私とキハラの信頼関係を深めていくきっかけにはなったと思っている。
いつもこころにアンテナを立てる――。
一体一如を体現しようとすると、おのずと他人が自分の半身になってくる。だからその人のことをどこかで想うようになってくる。
私は最近、自宅でリモートワークする時間をもう少し多く持とうと思っている。これからの時代、なるべく家にいて自身の健康も保ちたいし、私を心配してくれている人たちにも安心してもらいたい。反って私も彼・彼女たちを想う時間をもっと増やしたいと思うから。
了。