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意識的に高めたセルフエフィカシー

セルフエフィカシー 自己効力感
帰国していくつか読書をする中で知った言葉なので、言葉の意味を理解して意図して行ったというより、必要だと思ってやっていたことはセルフエフィカシーを高めていた行為でした。

そもそも何度か前述していますが、ワーホリの前も、帰国後も看護師として働いています。
ワーホリ前のわたしは、看護師1年目で父が病死し、その直後に部署異動を命じられ集中治療室で長く勤務していました。
父が亡くなった後は、ショックやストレスで病院と自宅との往復しかしばらく記憶にありません。父がそのタイミングで亡くならなければ、異動にならなければ今のわたしはいません。
異動になったこと自体はチャンスだと思っていました、元々は希望していたので。

だからもう1年、1年目のようにがむしゃらに恥かいていこうと思ったのを覚えています。
結論、わたしは集中治療室に向いていたのです。理論的に観察力を高めて重症な患者さんを看る。経験とともに任せられる事も増えリーダーをするようになった頃にワーホリ行った方がいいかも、と思うようになりました。(理由は追々)

色々逆算して、時期を決め、退職したんですけど、退職の頃、教育育成に携わっていて、関わりのある医師たちからせめてもう1年、君はここに必要だよっと言ってもらえる程になっていました。

携わった人たちも、目に見えて進歩がありやりがいも感じていましたが、そこの場所で一生働いて他所を知らないのもどうだろうか、今のわたしは他所でも通用するだろうかという気持ちもあり、退職の意思は揺るぎませんでした。

何より今のわたしにはワーホリ行った方がいいという直感が強かったです。

退職から有給消化も含めて出国まで2か月弱。

自分の価値を自分で見失なっていました。仕事以外の時間を仕事に費やすタイプではもともとないけど、仕事に重きを置き同職者や他職種、上司からも認められている、必要とされている、今日もメンバー全員時間内に無事に仕事終わった!っと自己評価が、ほぼ他者依存だったからです。

そんなわたしが仕事を辞めると、仕事しないなんて、わたしの価値はなんなんだろうと後ろ向きなことばかり考えてました。
その時の彼ともワーホリを間近にしてギクシャクしていたのも一因だとは思います。
周りの友達は8割結婚もしていて、当時SNSは結婚や子どもの話題で、しあわせそうに見えて、なんて結婚から遠いことしてるんだろうとも思ってました。

ワーホリが直近になり、ワーホリを辞める選択はやっぱり考えつかなかったし、行ってからも1年で帰ると決めていたので1日たりとも無駄にはしたくなかったし、くよくよ泣いている時間がもったいないと当時の彼と別れた時も思ってました。

ワーホリの期間、わたしは看護師じゃなくてただのランゲージスクールの学生で、ただのウエストレスで、アップルファームのファーマーでした。友達たちは、個のYukariを見てくれました、看護師ではないただのわたし。

毎日髪を巻いてお気に入りのパフュームをつけて、年齢層バラバラの友達たちと過ごす毎日はわたしを女性として高めてくれたし、毎日毎日今日もユカリが1番きれいだよ、と言ってくれる友達や若く見られる外見、褒められる肌全てがわたしの誇りになり、着飾ることも女性として評価される事も自信になりました。

フランス人の女の子からも、みんなユカリのこと好きじゃん、美人は万国共通なんだと思ったよと言われたときはお父さんお母さん遺伝子ありがとうと思ったし、女の子にそう言われることが本当にうれしかったです。

そこで学んだのは、もっと自信持っていいんだという事と思っていても伝わらないともったいないから、相手をハッピーにする気づきはどんどん言う事。女子から言われてもうれしいです。

毎日きれいだと言ってくれていたブラジル人は、顔がぱんぱんに浮腫んだ日は、今日は顔ひどいよ?どうしたの?と言っていたので、毎日手が抜けないな笑と思ってました。

ワーホリをイメージするとき、大抵の人はどう思うか。。
ワーホリを成り立たせ意味あるものに出来るかはその人次第です。ランゲージスクールの間にウエイトレスの仕事をゲット出来たのは、本当にラッキーでした。とりあえず仕事を確保したかったので、応募したのはキッチンジョブだったけどウエイトレスで採用されて、接客も楽しかったです。オージーや南米、ヨーロピアンはフレンドリーでお客さん達とも仲良くなれました。
もともとコミュ力はある方だと思ってたけど、どんな環境でも自分が働きかければ友達ができるんだなというのも自信になりました。

ワーホリは自由です、ランゲージスクール行ってもいいし、行かなくてもいい。お金に困らないなら働かなくてもいい。もっと長くいたいなら一次産業に従事したらいい。楽に生きたいなら日本人とだけ過ごして生きていける。住む場所も国籍ミックスのおうちだったり、日本人がいる場所だったり引っ越しもキャリーにちょっとした日用品程度で身軽。わたしは1年間で4回引越しして、5軒住みました。

働く場所も住む地域も思うがままに、選んでいける環境。

ただ今まであんまりそういう風に意識して生きてこなかったから、プールに浮いたような気分になりました。努力して水をかいて進めば望む方向(外国人と過ごす、ローカルジョブをする、地域をかえて引っ越す)にたどり着くけど、やりたくない動きたくないならそのまま浮いてればいいし、誰も非難もしないし、引き寄せてはくれない。そんなイメージです。

わたしはセカンドビザは取るつもりはなかったけど、ワーホリ前から1次産業は従事してみたくて、でも都市を変える、仕事を手放すリスクはおいたくもなくて相談して1カ月休みにしてもらって1か月一人旅のつもりでタスマニア(オーストラリアの下の方の島)に行きました。

タスマニアにした理由はいっぱいあるけど、南極側のオーロラ見たかったし、有名なタスマニアワインのグレープファームで働いて携わったものが商品(ワイン)になったらうれしいな〜と思って選びました。

グレープファームは競争率高くて入れなかったけど、アップルのピッキングを見つけてタスマニアの中も移動してファームホステルに滞在して1か月弱働きました。

アップルファームはいい匂いだし、毎日ピクニックみたいだったし、土の上に寝そべる昼寝も、かなり重労働だったけど汗流して働くのも、ホステルでのみんなとの関わりも凄く楽しくて、自分が行動したからだと思うと誇らしくて、今もぎったリンゴがウーリー(ローカルスーパー)に並ぶんかなと思うと嬉しくなりました。

日本で、一次産業に従事したいってはなかなか思わないし、1カ月で辞めるのにも罪悪感あるけど一生のうちのたった1か月だけど、生産者側になれて本当に貴重な体験だった!

オーロラは見れなかったけど、こういう思考がわたしのセルフエフィカシーを高めて今に至るから、自己投資してよかったな〜と思ってます。

長々となりましたが、目的意識を持つことが何倍も効果を増強させたんだと思います。

今は、よりいい女、雰囲気のある艶っぽい感じを目標に日々精進しています。