『僕たちの自由空間』
川崎市「こども夢パーク」ができる前、フリースペース「たまりば」が久地駅近くのビルの2Fにあった頃に、私はちょこちょこ訪れていました。
当時私は自分探しのようなことをしていて、とある表現集団での「活動」にハイになっていました。
「本物」に憧れ、こどもの居場所をつくりたい、という夢を頭でねつ造し、何者にもなれていない自分に焦っていました。
そんな危うさを抱えながら、フリースペースを題材にした演劇をつくろうと、「たまりば」の西野さんに取材をして、『僕たちの自由空間』という演劇を仲間とつくりました。
私が所属していた集団を支えていたのは、10歳年上のNさんという人で、そこに集った仲間の多くは、私を含めて演劇経験がなく、ただそれぞれ「何か」を求めていました。
私は嬉々としてNさんを西野さんのところに連れていき、何か重要なことをしたような気になりました。
Nさんは西野さんの話をエッセンスに脚本を書きました。
それは「たまりば」を描いた物語ではなく、私を含めてNさんのまわりに集った若者たちが、不用意にも「自分らしく」生きようとしたときに、どんなことにぶつかり、どんなふうに乗り越えられるかを、Nさんの希望をこめて描いたのです。
演じるのは(というか演出されるのは)正直苦痛でしたが、稽古にいくことがそれはそれは楽しくて、ワクワクした毎日でした。
西野さんはヤクザ役で出演してくれました。(すごい迫力!)
Nさんは私を主役にして、愛情と情熱を注いで伴走しました。
その創作で、私は、私自身の本当の姿に気づくべきだったのですが、活動がただ楽しくて、身を委ねてしまいました。そして、誰かとどう生きるか、でなく、自分がどう生きるか、しか考えていませんでした。
ほんとうの自分を知るという最大の試練は、その公演のすぐあとに、己の死と再生という形でやってきたのです。
私は、幼稚な若者でした。
その報いが、襲ってきました。
それは私にとっての試練であると同時に、Nさんにとっても、私とは全く違う次元で、大きな試練だったように思います。
すべてを失ったあと、私はあのころをすべてを否定したくなりました。
でも、やっぱり・・
あの時間は宝物です。
仲間を得て解放され、
稽古の日々が楽しくて、愛しくて、
つながって、一緒にいることが嬉しくて、
居場所を得るということが、
人間にとってどれだけ大切なことか!
公演では、舞台の最前列に「たまりば」に通う子と親たちが観に来てくれて、歌に合わせて手拍子をして、客席からの暖かいエネルギーに包まれた感覚が、今も忘れられません。
青春というものが私にもある。
そう言える人生なのは、あのキラキラした時間と、孤独を経験できたからです。
あの時に、愛を持って接してくれた人たちのことを、ずっと信頼しています。
自分の声に従って、誰かとともに生きる。
そのように実際に生きていくことは、とても勇気が要るし、いろいろと難しい。
でもそれはすべての人に課されていて、
それぞれの熟達への道があります。
あれから時を経て、今はわが子と杉を介してちょこっとでも夢パークに関われるのが嬉しく、ご縁がありがたいです。
さて、今の私の居場所は家族です。
「自由空間」は今ここにあり、日々をつくり続けます。
そして杉を敷いて成していくことも、今の自分にとって必要なことです。
面白いことに、あの頃にぶつかった壁が、今も違う形でやってきたりします。
Nさんのことを思い出すことは普段はあまりないですが、キツイ局面で、ちゃんと自我を捨てられた時などは、Nさんを思い目頭が熱くなります。
Nさんに恩返しできる日は来るのだろうか、、、
『僕たちの自由空間』は、今読んでも胸が熱くなります。
(あ、Nさん生きてます。念の為。)
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