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ウミガメの映像をみながら、亀形石造物を思う


 ウミガメの泳いでいるさまは、空を飛んでいるようで、
ゆったりしていて、見ていて癒されると聞いて、
早速、ウミガメの映像を探して、見てみた。
たしかにウミガメの泳いでいる様子は
空を飛んでいるようだし、悠然としている。
いくつかの動画をみたけれど、画質の良い映像でみると、
ウミガメの甲羅や皮膚の柄の美しさも印象的だ。
顏は、正直言って、微妙だけれど、
目元が遮光器土偶に似ている気がした。
ゆったり海の中を飛んでいる(泳いでいる)ウミガメをみていたら
ふと、明日香村の酒船石遺跡内にある亀形石造物を思い出した。
あの亀形石造物のモデルは、ウミガメだったのかしら??

それで、酒船石遺跡のパンフレットを引っ張り出して
読み返してみたけれど、そういうことは書いていなかった。
酒船石遺跡の辺りは斉明期(7世紀中)に造営されて、
平安時代に廃絶するまで250年間相続し、
亀形石造物とそれに付属する小判形石造物は、
天武~文武朝(7世紀後半~末)に改修されたものだという。
(上に、現地で撮った写真を貼っておきます。薄暗い日で、
あまりきれいに写ってはいないのですが…。)
亀形石造物と小判形石造物はセットで導水施設になっていて
この辺りは、何かしらの祭祀のための空間だったという。

それで思ったのは、この遺跡が造営された7世紀ごろに、
日本にウミガメはいたのだろうか
あるいは、この頃、ウミガメは日本人にとって
身近な存在だったのだろうか
ということ。

そんな疑問を持って、ネットを検索していたら、
三重県にある斎宮歴史博物館のHPの記事に行き当たった。
曰く、斎王が就任するときに、亀卜(きぼく)で占ったらしいのだが
この亀は、ウミガメを指したらしい。

斎宮が正式に制度化されたのが天武天皇の時代だから
ちょうど明日香の亀形石造物が改修された頃にあたる。
酒船石遺跡は、飛鳥京の近くにあり、
国家的試験事業だったと推察されている飛鳥池工房に隣接しているから
亀形石造物や小判形石造物による導水施設は
当時の中央の祭祀施設をあらわしているのだろう。
そして同時期に制度化された斎宮で使われる
亀卜の亀がウミガメを指しているというのなら、
その大元といえる中央の祭祀施設内にある亀形石造物の亀が
ウミガメだと考えてもおかしくないと思ったのだけど、如何?


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