見出し画像

マーダーボット、怒りのデスロード

怒りから始まった物語

マーサ・ウェルズが、マーダーボットシリーズの第1話「AllSystemsRed」を書き始めたのは2016年(出版:2017年5月)だという。
この年はダッカ、ブリュッセル、ニース、NYなど各地でテロが頻発し、6月には英国がEU離脱を決定。11月にアメリカ大統領選でトランプ氏が勝利した年だ。

ウェルズは下記インタビュー(2020年8月)で「自分はこれまで人生の多くに腹を立ててきたが、当時は政治情勢に対しても非常に怒っていた。どうにか対処する必要があった」と執筆時の心境を語っている。

(「語っている」なんて、わかったふうに書く自分が恥ずかしい……
 英語……まるで自信ありません。
 間違いや誤解に気づかれた際はガンガン教えてください。
 伏してお願いいたします。)

最近のインタビューでも子供のころから感じていた孤独や違和感、さらには「この年齢で、現役作家であろうとする女性はあまり良い扱いを受けない」といった事柄について言及している。

Galaxy's Edge Magazine ISSUE 56 – MAY 2022 
CONTENTS:NON-FICTION
  THE SNARKY SIREN CALL OF ADVENTURE: 
  GALAXY’S EDGE INTERVIEWS MARTHA WELLS

マーダーボット世界構築の背景には「ふがいない自分と理不尽な状況への怒り」があることは間違いないだろう。

人間になりたくないロボット


作者いわく、最初は悲しい短編小説になるはずだったとのこと。
統制モジュールをハッキングした奴隷の警備員が主人公で、最後は死ぬ(!)予定だった。うぎゃー。(最初に浮かんだというシーンが意外で、メンサー博士がキュービクルの壁をノックする場面だとか。え、あそこから?)

ありがちな「人間になりたいロボットの話は書きたくない。人間になりたくないロボットについて書きたかった」とウェルズ。そのへんが物語を構築する背骨になっているように思う。

「人間にはなりたくありません」
するとメンサー博士は言いました。
「その態度は多くの人間に理解されないでしょうね。ボットや構成機体は人間そっくりの外観だから、いつかは人間になりたいはずだと思われている」
「そんなばかげた話は聞いたことがありません」

4話『出口戦略の無謀』p320

弊機のこの言葉は、「ボットや構成機体と人間」の部分を「有色人種と白人」「女性と男性」に置き換えてもほぼ通用する。
たとえばかつて南アフリカにあった「名誉白人」の呼称や、有能な女性が「男勝り」「女にしておくのは惜しい」などと形容されるグロテスクさ。
たとえ「おまえも特別に仲間に入れてやるよ」と言われたとしても腹立たしいだけで、それこそがアイデンティティを踏みつける行為なのだが、相手はそこに気が付いていない。最初から相手を下に見ている傲慢さを、マジョリティ側はたいがい意識していない。

レッテルを拒否し、アイデンティティを切望する

「あなたがたの物差しで、自分を勝手に分類しないでくれ」
そんな強い怒りが弊機にはある。
おそらくこれは作者自身の怒りなのだろう。何らかの理由で周囲にうまくなじめない人間にとっては、強く共感できる部分だ。

弊機は「各種ボットでも、ペットロボットでも、慰安ユニットでも、人間でもない」という点をよく強調する。その思いが強すぎて、あれやこれやの差別意識に発展しているのがリアルだなあ。

弊機はしょっちゅう愚痴をこぼしているけれど、根底では「クライアントを守る警備ユニット」であることを愛し、その役割に誇りを持ちたいと望んでいるようだ。しかし同時に、この望みがほぼ不可能であることも身に染みて知っている。

物語世界では「警備ユニット」の社会的ポジションはまだ存在しないし、必要だと考える人もほとんどいないようだ。
弊機も「警備ユニットが登場するドラマはあまりありません。出てきても悪者か、悪者の子分役です」とか、「本でも警備ユニットはめったに登場しません。視点がないはずのものに視点をおいた物語は書きにくいはずです」などと言っている(2話p179)。
弊機の自嘲コメントはかなり認知の歪みが入っているため疑ってかかる必要があるが、メディアについての言及は信用していいだろう。

弊機の心境を理解するうえで、一番連想しやすいのは性差別かな。
ジョージ王朝時代(18-19世紀)のイギリスでは、女性は本をたくさん読んだだけで精神病院に入れられたそうな。またニュージーランドに入植したヨーロッパの人々は、マオリ族の男女平等思想を後進的で「野蛮」だとみなして考えを改めさせようと全力を尽くした(あうち!)。日本でも女性参政権が行使さたのは戦後のことで、それまで「女性に選挙権を付与するなんてとんでもない」と考える人が普通にいたことを思う。

これまで権利を持っていなかった存在に人権を認め、権利を認めるのは、既存の人々にとっては、きわめて、とても、すっごく怖いことだ。だからいまもホモソーシャルが根を張っているし、性差別をめぐるあれやこれやの問題は現在進行形で炎上中だし、弊機の状況は決して遠い世界の話じゃない。いや閑話休題。


物語の力でヘイトを超える

差別されて悲しみ、苦しんでいるいることすら知られていないのが警備ユニットたちのポジションだ。統制モジュールをハックした弊機は不安多めで絶望少なめ。通常の警備ユニットは不安は少ない代わりに絶望が多い。いずれにしても理不尽な状況。この怒りをキープしながら、一方で弊機は憎むべき人間たちを愛することを覚える。ドラマ!を通じて。
ここがものすごく秀逸だと思う。

理屈でヘイトの壁は超えられない。でも韓国ドラマやBTSのファンになれば、韓国に親近感を持つようになるし、日本のアニメに耽溺すればアンチジャパンにはなりにくい。

理屈では平等をうたっていながら、感情で相手を嫌う人はたくさんいるし、それは政府の建前と政治家や議員の本音のギャップだと思う。だから理屈から攻めるんじゃなく、先に感情で共感する方が話が早い。そこでドラマだ。

(現実には、昨日まで仲良くしていた隣人と、ある日殺し合いを始めるという本当に傷ましい実例も多々あるから、感情が万能とはもちろん言えない)

弊機自身も「ドラマはフィクションである」という前提を自分に言い聞かせながら、人間を愛している。
ドラマは人間がつくりだしたもの。理想像を描いているもの。現実にはとてもそうはいかなくても、少なくともその世界を志向する感情があるはず。そこに弊機は共感する。

弊機と人間は根本的に異なるうえ、どちらも欠点だらけの存在だ。しかしそんな状態でも、同じ夢を見られるのならともに歩いて行けるだろう。それが弊機とメンサーたちプリザベーションの人々の共通基盤であるはずだ。
弊機の愛するサンクチュアリムーンは決して穏やかな話ではなさそうだし、弊機いわく嘘つきばかり登場するらしい。それでもそこに表現されている人々を弊機は愛する。愚かしく悪意や陰謀に取り囲まれながらも好ましい存在として見ている。
弊機が望むのは絵にかいたような天国とあり得ない天使ではなく、欠点を自覚しながら良い方向に進みたいともがく様子なのだろうな。現実にはそんな努力のほとんどは報われない。ドラマの世界ではたぶん報われる確率ははるかに高い。

見る側からつくる側へ。その関門となる自分との直面


弊機は一度メンサーのもとから去ることで、自分のドラマを作り始めたのだと思う。もしそのままメンサーを保護者にプリザベーションとどまっていれば鑑賞者のままだったはず。自分を認めてくれる人々のなかで快適にドラマを楽しむこともできた。しかしその状況は弊機にとって我慢ならないものだった。
ドラマを見ながら無人の惑星やボット運航の貨物船で何十万時間を過ごすという選択肢について、弊機は何度か考え、ばかげているとも言っている。
弊機がほしいのは他の何者でもない自分自身としての手応えだから、「許容されてそこにいる」状態とはまったく異なる。ではその自分自身とは何なのか。ここが次の壁だ。

弊機は逃亡に際し「決められるのはいやだ」と文句をたれていた。それももちろん本音だろうけれど、それ以上に強かった動機は自分への不信感だろう。過去に大量殺人を犯したことは確かだがその動機がわからない。自分の中にあるかもしれない潜在的な危険性におびえて(ものすごく怖かったはずの)ラビハイラルへ向かった。みずからに直面することを選んだ。

その過程でARTに出会ったのは宇宙の神様(作者)のプレゼントだね。

内なる差別意識との対面


確かめた結果はある意味期待外れで、原因は別にあった。しかし弊機はそこで、これまで自分が軽蔑していた(差別していた)慰安ユニットの行動を知ることになる。この構成も秀逸だなあ。
差別される集団のなかにも、いやむしろ差別される集団のなかにこそ、いっそう激しい差別意識が生まれやすい。社会から踏みつけられる人は、自分が踏みつけられる相手を探すようになり、その獲物を見つけると全力で踏みつける。自分自身を守るために。ネットに氾濫する匿名のいじめ現象はその典型だと思う。企業にしても個人にしても「こいつは悪いやつ」だと特定されたとたん、膨大な人々が容赦なく攻撃を加える現象はいまもよく見る。

これを弊機は体現していて、慰安ユニットやボットをあからさまに下に見ている。
その無自覚で強固なヒエラルキーを、慰安ユニットたちの悲壮な自己犠牲が揺さぶった。
そのショックの大きさは想像に余りある。

メンサーのショックと信頼


ショックといえば、メンサーも相当なショックを受けたはず。弊機と出会い、人格を持つことを知り、これまで自分が意識してこなかった差別が目の前にあるとわかった。おそらく自分の無知とプリザベーションの閉鎖性を恥じたのではないだろうか。
メンサーは理想的な大人なので、弊機のようにショックを押し隠すようなことはせず行動を開始した。いまそこにいる弊機を自立(自律)した存在として扱うようになり、なおかつその感情とプライドにも配慮した。

「自分を守ってくれるだれかとしてあなたを見たい」これは殺し文句だな。
弊機にとって、何かを守る行為は唯一プライドを感じられる部分。だから、そこをズバリつかれたらもう……。

メンサーのリーダー資質


おそらく最初からメンサーは、構成ユニットの人権を法的に守る算段まで視野に入れていただろうし、それに伴う反対意見や困難の数々も想定していただろう。
グレイクリスの武装について弊機が指摘した際の状況から。弊機の推測ではあるがおそらくそうだろうな。

そのへんを脳内においておきながら、まずやることは弊機を信頼することだった。
ここがすごいな。
信頼したいという意思を基本としながらも、近くにおいて様子を確かめることは怠らない。グラシンのようにあからさまに疑義を呈することはないけれど、チームの誰よりも弊機の危険性を警戒していたのはメンサーだったはず。

弊機が自分の感情と判断力を持つことを知った後、次に警戒すべきは誰かの指示で動いていることだろう。グラシンは保険会社の陰謀を警戒していたけれど、メンサーは最初からそれも考慮にいれていただろう。
統制モジュールがハッキングされていると聞いた時点で、逆に初めてメンサーは弊機を信頼したはず。メンバーたちが討論でたどりついた結論を、メンサーはまっさきに一人で得ていたはず。それが「自分を守ってくれるだれかとして」という言葉につながる。

メンサーは決断が早いとのこと。
良きリーダーとして、おそらく思考の訓練ができている。どんな事態にあってもまず自分の仮説を立案したうえで、メンバーの意見を過不足なく聞くことでそれを検証し、決断してきたのだろう。独善にも日和見にも傾かず、フラットにものを見るすべを訓練してきているだろう。

メンサーのPTSD


それでもみずからに加えられた理不尽な暴力のトラウマを引きずってしまうところがいい。
メンサーのPTSDは、男性設定だったら描写されないんじゃないかなと、ふと思う。もしくは拘留中の恐怖についてもっと具体的に説明しておかないと説得力が出ないかもしれない。そう感じること自体が、自分のなかにある見えない思い込みのひとつだな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?