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もしも、当たり前のことが当たり前にできていたのなら。

もしも、当たり前のことが当たり前にできる人間だったら

自分はどんな人間になっていたんだろうか?

成人するまで、3年に一度は春休みや冬休みは治療手術するため入院し、

言葉がでないから、学校の合間に言葉の教室に通い、

歯が生えると治療のため歯科矯正をし、

当時はまだ理解がされにくく馬鹿にされた。

友達もできず、本が友達。

親の喧嘩が毎日続き、足音や怒鳴り声に怯える日々。

母が私の通院と入院の付き添いで私といることが多いので、

姉や妹に嫉妬されいじめられ、どこにも家にも外にも居場所がない。

何度も生きる意味があるのか、と自問自答繰り返す。

成人して働きだしても、また仕事先は病院。

そして、2年後にはまた大病を患い、治療が必要に。

何で自分はこうなんだろう?

何で自分だけ?


そんな自暴自棄の時、

「そのまんまでいいんだよ。神様は越えられない試練は与えない。

その親を選んだのも自分、

障害や壁に見える出来事を選んで生まれてきたのも自分、

そのままの自分で自信持って、やりたいことやってみよう。」

と最愛の人から。

それから、外出を決意してから家出るまで1時間、電話かけるまで1時間、

いつも怯えて足がすくんでいたけど、行動できるようになった。

自分のがんじがらめに巻きついていた負の鎖が、

お前なんて幸せになってはいけないんだ、という

心に渦巻く黒い光が、だんだんとなくなっていく。

心からなくなるまで7年必要だった。でもまだたまに顔を出してくる。

辛いことがあったから、人の気持ちに寄り添えるようになった。

寄り添いたいと思うようになった。

当たり前のことが当たり前に出来なかったから、今がある。

優しくなりたいと思う。たくさんのこと経験したいと思う。

一人では、絶対なにも気づかなかった。

ただ泣いている人生や、親が決めた人生のレールしか想像できなかった。

幸せだと感じていいことにようやく気づくことができた。

たくさんの人に、感謝しています。


#一人じゃ気づけなかったこと

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