合唱からアカペラへ〜自信喪失した経験から学んだこと〜

この記事を見てくださっている方の中で、「合唱部」でした、「合唱団」に入っていました、という方は何人ぐらいいらっしゃるでしょうか。
私が本格的に「歌うこと」をはじめたきっかけは「合唱」でした。中学にはいって合唱部に入部したのです。元々音楽は好きでしたし、歌うことも好きでした。部活動でほかの部員と切磋琢磨したり、ステージで演奏したり、コンクールに出場したりする中で、私は「歌」の楽しさや難しさに出会いました。
そういった経験を経て内心歌に自信を持っていた私ですが、大学でアカペラサークルに入り「ポピュラーボーカル」の演奏活動をはじめたときに、壁にぶつかり、一気に自信を喪失した経験があります。
もしかしたら「合唱経験者」で同じような経験をした、という方は多いのではないかと思います。今日は私がぶつかった壁や、それとどう向き合ってきたかということを書いてみたいと思います。

「童謡歌ってほしい~!」に愕然

高校を卒業し、大学に入ったとき、私は友人の誘いでアカペラサークルにはいりました。
合唱をとおして歌を学んでいた時代、テレビの中では「アカペラ」が流行っており(といっても当時の私は「アカペラ」というと無伴奏の宗教音楽だという認識があり、コンテンポラリーアカペラは「ハモネプ」として認識ていました)、合唱にとりくんでいた自分ならここで活躍できるに違いないと思ったのです。

ですが、サークルに入ってしばらくしてある事実に気づきました。アカペラの活動やメンバーとのカラオケなどで「ピッチいいね」「声がきれいだね」みたいなことはたくさん言ってもらえるのですが、「歌がうまいね」と言われることはほとんどなかったのです。**
「あれ、私って、歌うまくないのか…?」**
お恥ずかしいことに、このあたりで私はぼんやりと「自分は歌が大してうまくない」という自覚を持つようになりました。

同時にサークルの中でも「歌がうまい!」と褒められる人たちがたくさんいました。洋楽をおしゃれに歌える子、迫力のある歌を歌える子、味のある歌を歌える子。
もしかしたらピッチの良さや基礎的な発声能力だけでいえば私の方が勝っていたかもしれません(もしかしたら、ですが)。ですが、なんにしても明らかに「歌がうまい!」のは私よりもその子たちだったのです。

そして私の「私って、歌うまくないのか…?」という不安にある時とどめの一言が突き刺さりました。あるポップスの歌をアカペラで演奏し、リードボーカルを担当したときに、知人がこう言ったのです。
「いい声!童謡歌ってほしい~!」
もちろん知人は誉め言葉で言ってくれたのですが、私は愕然としました。そうか、私の歌では「歌がうまい」子たちのようにおしゃれな洋楽や、迫力あるロックや、魅力的なポップスが歌えないのか、と思い知ったのです。

「歌への姿勢」を変えるタイミングが来た

当時のことを思い返すと、私は「正しい」発声や、「正しい」ピッチや、「正しい」「整えられた」歌い方に妙なこだわりを持っていたように思います。そこがアカペラをはじめた自分にとって唯一のプライドだったからです。(その知識も技術すらもめちゃくちゃ浅かった、間違っていることも多かったにもかかわらず、ですが……)
合唱時代、声楽時代に培った「歌の基礎」にこだわりすぎており、こんな発声は正しくない、こういう体の使い方をすべき、などといった固定観念がありました。
ですが「歌のうまい」子たちの多くは「歌の基礎」をどこかで学んだわけではありませんでした。発声を習ったことも、知識をつけようと書籍を読んだこともない、というのです。じゃあどうやってそんなにうまくなったの?
「好きな歌手がいて、こんな風に歌いたい!と思って聞きまくって、マネしまくってただけ〜」という返答をもらったことがあります。

そんなときにふと自分を振り返ると、「こんな風に歌いたい!」と強く思ったことがあったかな?という疑問がわきました。正しい音程で歌えるようになりたい、安定した声で歌えるようになりたい、そんなことはずっと考えてきました。でも「こんな風に歌いたい!」と能動的に自分の歌を想像したことはなかったかもしれない。
そのとき、ふと「歌への姿勢」を私は変えていかないといけないのかもしれない、と思い至ったのです。

真似て、妄想し、「自分の歌いたい歌をデザイン」する

ポピュラーのフィールドで活躍する「歌がうまい」人たちと接するにつれ、私の中にも「こんな風に歌えたらいいのにな」「この人の歌はかっこいいな」というような色んな憧れが芽生えてきました。
もちろんこれまでもプロの歌手に対して「歌がうまい!かっこいい!」と思ったことはあったのですが、同じアカペラという舞台で歌を歌っている人たちに抱く憧れはそれとは全く別物です。私もこうなりたい、なれるんじゃないか?というもっとリアルな願望でした。
そして、そういった願望を持ちつつ憧れを抱ける「歌のうまい」人とともに歌を歌う事は大きな経験になりました。間近でその人の歌を聴きながら、その人の技術をひたすら真似したのです。
これは私がアカペラをしていたからこそスムーズに取り組めたことのように思います。アカペラという演奏形態は何人かのメンバーが声だけで一つの楽曲を演奏するので「その人と息の合った演奏をするためにその人の歌を真似る」という大義名分がありました。私がハナからソロシンガーとして活動していたなら、諸々のプライドで「真似る」ことに抵抗を感じていたかもしれません。

こういったことをしていると、プロの歌手の音源を聴く時の姿勢も変わってきました。これまでポピュラーボーカリストの歌をただひたすらに「うまいなあ、すごいなあ」と感心しながら聴いていたのですが、この頃から私は憧れの歌手の歌を聴く度に妄想を繰り広げるようになりました。この声を実際に自分が出している、この歌を実際に自分が歌っている、という妄想です。
滑稽なようですが、これは自分の歌への取り組みを大きく変えました。
「私は今こんな歌を歌いたい」というイメージが以前よりずっと鮮明になったからです。

イメージが鮮明になると表現が変わります。少しずつですが、私の歌は変化していきました。
「自分の歌いたい歌をデザイン」する、という感覚が備わってきたのだと思います。他の人にとってはまだ大した変化ではなかったかもしれませんが、これが私のポピュラーボーカリストとしての第一歩目になりました。

いい発声、正しい発声、よく響く声……は「目的」ではない

今となってわかることですが、アカペラを始めたばかりにこだわっていた「いい発声」「正しい発声」「よく響く声」は本来の演奏の目的ではありません。いくつもある道筋の中の一つです。(同時に「うまい歌を歌う」ということも目的ではないのですが、これに気づくのは更に先のことでした……)
あくまで自分の目指す歌や表現があり、そこに辿り着ければどの道を選んでもいいのです。もちろん多くの場合、目指す歌への過程に「安定した歌唱力」というものがあり、「いい発声」「正しい発声」という道筋を通る必要が出てくるのですが。

私は芸術大学に通っていましたので、サークルのメンバーの多くは美術やデザインなどの「本業」を持っていて、正直「音楽」への知識が特別深い人は少なかったのかもしれません。その分、「かっこよければそれでいい」というある意味で本質的な考え方を持っている人が多かったことが、私にとってはいい影響をもたらしてくれました。

自分の目指す歌に必要なものは何か

特に合唱経験者で発声の技術を重視してきた人が陥りがちではないかと思いますが、それ以外の方でも「歌がうまい」ということを「高い声がでる」「よく響くいい声が出る」「ピッチがいい」……ということだと思っている人も多いのではないでしょうか。でも高い声が出て、声が響いて、ピッチが良ければ自分の歌いたい歌が歌えるのかどうか、考える必要があります。
もちろんその材料があれば理想の歌になる、ということならそこを追い求めていけばいいのですが、そうでない場合は自分にとって本当に重要な部分を見極めていかないといけないだろうな、と思うのです。

現在、私は「ボーカルトレーナー」という仕事をしていますが、体験レッスンにいらっしゃる方で「お腹から声を出したいんです!」とおっしゃる方が多いです。以前「お腹から声を出すの、中止。」という記事も書きましたが、その「お腹から声を出す」先にどういう歌を求めていて、目指している歌に必要なのは本当に「お腹から声出すこと」なのかは考えていかないといけない問題だと思います。

当時、ボイスパーカッションをやっていた友人に、「ベラム(当時はベラムという名前で活動していました)はもっとパーカッションでリズムを打つようなイメージで歌うべき」と指摘されたこともありました。リズム楽器が使用されないことの多い合唱で歌を歌っていた私にとっては、それまでの自分になかった新たな概念を得ることができ、同じ音楽でも私が今歌おうとしている音楽はこれまで経験してきた音楽とどう違うのか……ということが明確になった瞬間でもありました。(そして同じような内容を当時レッスンを受けていたボーカルトレーナーの先生にもご指摘いただいたのでした)
思い返してみると、アカペラをやっていた時代に学ばせてもらったことは本当に多かったです。

「合唱経験」が活きる場面が増えた

こうして自分なりに歌への向き合い方が変わってから、逆に自分の合唱経験がやはり大きな意味のあるものだったのだと気づく場面も増えました。中高時代、発声や音楽の基礎をきっちり学ばせてもらったからこそ、自分の目指す歌へのイメージが定まった時に表現が変化するスピードも比較的早かったと思いますし、歌のスタイルが大きく変化していってもある程度の安定感をキープして歌唱できたように思います。また、合唱時代と歌のスタイルは変わっても、あの頃母音の発音について厳しく指導していただいたことが今の自分自身の歌の魅力になっているとも感じています。
そして当時「歌がうまい」と憧れた仲間に発声について相談される場面も出てきました。やはりその人たちにとっても「より良い発声」は通るべき道筋だったのです。

長くなりましたが、私が「合唱」からポピュラーボーカルへ転向した時にぶつかった壁、そしてその壁への向き合い方についてお話をさせていただきました。

同じような経験をしていたり、同じような悩みにぶつかっている方の参考になれば嬉しいです。もっとその具体的な方法、道筋について知りたいんですけど!という方は是非大阪市平野区・河内長野市の音楽教室CREA MUSICまでお気軽にご連絡ください(笑)

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