見出し画像

今後の社会と学力問題(書きかけ

 今後の社会と今の学生の学力について、私見を述べる

 3月からの休校が明けて、街に学生の姿が戻ってきた。

 今日は、学生の今後の学力の推移を予測しながら、その原因と対策を検討していく。


 考えることになった発端は、知り合いの子供の休校時の生活について聴かされた時だった。

 学校から出されるのは、復習を中心とした宿題。それが終わった後は、なんとかの森で遊んでいるんだそうだ。

 調べてみると、休校時に復習教材で急場をしのいだ学校は多いらしい。

 このことを知って、筆者は、休校明けは、この世代の学生の学力は、壊滅的に下がるだろうと思った。

 理由を順に述べていく。

 まず、学習の中で、自学自習での復習が一番難しいということを指摘する。

 学習において、復習が大事なのは、多くの自学自習経験者が知っている。人間は、必ず、過去の事を忘れる。記憶に定着させるには、復習して、繰り返し頭を使うしかない。

 しかし、自学自習時の復習は、あてにならない。

 復習教材を子供に渡した場合、ちゃんとやり方の指導もする必要がある。そうでないと多くの子は、一昔前に流行った「脳トレ」のごとく、できる問題はササっと終わらせて、できない問題はほったらかしということになる。

 これは、脳トレにはなるが、学力は絶対に伸びない。

 もう一つは、親の世代の問題もある。

 現在、社会で「大人」と言われるカテゴリーの人間で、大学全入時代に高校を出た人間は、30歳より若い世代が中心だ。

 親の世代。35歳よりも上の世代の人間は、大学受験を経験していない人が、実は多い。いわゆる女子短大も減少している現在と比べると、大学進学率は、ぐっと低くなる。そういう世代の親は、学習内容をちゃんと記憶するということの重要度や、技術を子供に教えられない可能性が高い。

 これが、家庭学習(自学自習)で、復習教材を使うことの怖さだ。学習の技術がないために、無駄な勉強に時間を費やし、何も身につかない危険がある。

 

 第二のポイントは、学習密度の変化だ。

 概ね3か月の休校を経て、少人数授業から学校が再開された。

 休校時は、授業はほとんどできていないし、再開後の少人数学級では、本来よりも進捗が遅くなっていた。

 しかし、公立校では、時間が足らないことを理由に、学習量を大幅に削ることは難しい。そうなると、必然的に休みを減らし、一日の進捗を早めて、学習密度を高めていくことになる。

 ここで重要なのは、次の点だ。

 まず、人間の脳は、一定期間に大量の情報を詰め込むと、それを理解し記憶できる程度に個人差が現れることが分かっている。そもそも論としてこれがなければ、入試等は成立しない。

 成果主義は、人間に平等に与えられた「時間」をどのように使い、どのような成果を出したかという競争だ。入試は、その最たるものだろう。

 学習の密度が高くなると、大半の内容を記憶・理解できる学生と、そうでない学生との学力差は、一般に、大きくなりやすい。

 一般に、学力は、試験の成績によって計られる。そして、試験の成績は、「コツコツ積み重ねているものがある人間」よりも、「全部が中途半端」な人間の方が、(当事者の想像以上に)低い点数が出るということが、分かっている。

 これは、模擬試験の成績などに表れやすい。進学校や自称進学校で、大量の授業や宿題がある学校に通っている学生の場合、全部が中途半端になってしまうことがある。こういう学生は、中堅高校の真面目な学生よりも、模擬試験の成績が悪かったりする。

 現実的に考えて、試験に、「中途半端」は通用しないし、そもそも通用しないように問題を作っている。そういった意味で、無理に学習密度を高め、その処理方法も教育しない。というような教育を行うと、平均的な意味での学力はグッと下がる。

 特に、大学入学共通テストは、センター試験に比べ、平均点が下げられている。中途半端な勉強をしてしまうと、想像を超えた低い点数を取る人が続出するだろう。

 

対策は?

 対策はあるのだろうか?

 恐らくではあるが、この影響がハッキリと出るのは、今の中学1年生が高校入試を迎える時期以降のものと思われる。

 学校で、先生の話を聞いているだけで内容を覚えることができるというのは、大半の人は、中学1~3年生のある時期までに限られている。これは、脳科学の世界では定番の情報で、意味が分からなくても記憶できる「知識記憶」と、ある程度理屈が分からないと記憶できない「経験記憶」の割合は、加齢とともに「経験記憶」の方へ傾くということが分かっている。

 まずは、たった数か月ではあるが、知識記憶優勢の期間を放棄したことが、どのように影響するかが重要だ。

 例えば、英語の初歩的な文法などは、中学校の最初の頃に教わるものが多い。成人の大半は中学1年くらいまでは学校に通っているから、大人になってから英語の学習を再開しても、基本に忠実な文、フォーマルな文なら、大半の人が読めるようになる。対して、大人になってからロシア語やスワヒリ語を学んでも、ほとんどの人は、身につくかどうか以前に、わけが分からなくて、学習を続けられないだろう。しかしこれも、親の仕事の関係で、少しだけロシア語を覚えたことがあるとか、旅行に行ったときに、単語を10個くらい丸暗記したことがあるとか、そういった経験があるだけで、成果が大きく変わってくる。「知識記憶」があるかどうかは、今後の人生においてとても重要になるのだ。

 大学入試に関しては、現実的な対応として、今年度と次年度くらいまでは、柔軟な対応となるだろうと思う。

 

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?