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元気をくれる人は、何が違うのだろう。

最近、わたしの周りに元気な人、元気な知り合いが増えました。知り合いというと何だか素っ気ないですが、友達というのとはまた違う感じです。

笑顔が素敵だとか、エネルギーを感じるとか、そんな言葉が似合うのですが少し薄っぺらい表現な気がしています。
そもそも、元気な人だと感じていますが、まだまだ知らない面だってたくさんあるのです。


元気をくれる人は、何が違うのだろう。

最近知り合ったのだから、知らない面があって当然。良い面しか見えていないことも事実です。
雰囲気といった、感覚的なものでまとめてしまうのも納得できない気がします。
あえて言うのであれば、「自分らしさ」を意識せずに追求しているといったところかもしれません。

「自分らしさ」という言葉そのものが感覚的だし、一人ひとり違う人間なのだから、誰しもが「自分らしさ」なんて既に持ち合わせているとも言えます。
それから、「意識せずに追求する」というのも、矛盾しているように聞こえるかもしれません。追求している時点で意識しているに違いないと思われるからです。素直に「無意識に追求する」と書かないのは、意識しないようにしているのかもしれないという推測も込めています。

いずれにせよ、少なくとも一年後。長くとも死ぬまでのビジョンを、何となくでも思い描くことができている人のような気がしています。
つまり、自分らしさは意識せずに。けれど時間を大切にしている。

限りある時間だと知っているからこそ、よく笑い素敵に見えて、
限りある時間だか知っているからこそ、エネルギーに溢れている。

知っているとは、
その人を強くするのかもしれません。



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