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感覚はどこまで研ぎ澄まされるのだろうか?

暗闇の世界に足を踏み入れてみる

町中で生まれ育ち、都会で生活をしている私にとって、普通に暮らしていると暗闇に遭遇することはありません。

今年の夏休みの思い出は、以前から体験してみたかったこの暗闇を訪れることでした。

東京竹芝にある、ダイアログミュージアム
ここに暗闇や音のない世界を体験できる空間があります。

暗闇とは、まったく光のない世界です。
目を開けていても閉じていてもかわらない漆黒の闇。
初めての体験にワクワクする気持ちと、プレルームで体験した一瞬の暗闇に気分が悪くなり、そこに立ち入ることを怖れている私がいました。

何年越しの希望が叶う、その瞬間を目前に、心がくじけました。
しかし、そこに居合わせた初めて出会う仲間たちが勇気をくれて、行ってみよう!と、気持ちを奮い立たせました。

いざ、暗闇の世界へ!
そして、その扉の奥へと足を踏み入れました。

未体験の世界への好奇心と恐怖心

自分が体験したことのない世界に足を踏み入れるときのワクワク好奇心
それと同じだけ沸きあがる恐怖心
対極の感情が揺れ動く中、一歩また一歩先に進みます。

どんなに怖くても慣れなくても、誰かが手を引いてくれるわけではなく、自分が進むと決めて行くしかない。
戸惑いながらも、仲間の声かけや白杖タッチを頼りに勇気を振り絞ります。

しかし、少し暗闇に慣れた頃から、暗闇を楽しむ趣向が凝らされていて、徐々に暗闇への恐怖が薄れていきました。

アテンドしてくれる視覚障害の方のやさしい声に癒され、一人ではない安心感に包み込まれます。

そうしているうちに、暗闇の世界にいることがどんどん楽しくなっていきました。

視覚ではとらえられない真実の姿がそこにあった

そこにいると、どこに何があるのかを視覚でとらえることはできません。

だからこそ、耳を澄ませ、匂いをかいで、手で触れて、視覚以外の五感をフルに研ぎ澄ませていました。

まさに、幼い子供のように、見るもの聞くもの触るもの、好奇心旺盛に、
全神経を使って関心を寄せ、それが何かを探っていくあの感覚です。

そして、暗闇に慣れほど時間が経過すると、一緒に入った仲間それぞれの個性が現れてきていました。

見えない世界にいるからこそ、自分を何者かに見せる必要がなく、また、相手を色眼鏡で見ることもなく、あるがままの真実の姿が自然と出てきたのかもしれません。らけ出していました。

たった100分。
その時間であるがままの真実の姿を知らない人にさらけ出すなんて、日常の世界ではそうあることではありません。

人間の身体の測り知れない能力に触れる

日常の生活の中で、白杖で歩く方をお見掛けすることはあっても、お声をかかえたとしても話をすることはありません。
普段、朝をどう感じているんだろう、なんて、興味本位で聞いてはいけないような気がしていました。

しかし、今回、一緒に暗闇の世界へ誘ってくれたアテンドさんの発言に、どうしてもそれを尋ねてみたい衝動が突きあがりました。

その発言は、暗闇で言われたことです。
何も見えないのに、まるで見えているかのようにそこで楽しむ私の様子を言い当てられたのです。

えっ?〇〇さん、見えてるの?思わず聞き返しました。
うん、見えてるよ。と、当たり前のように返事が返ってきました。

そのアテンドさんは、確かに私の様子を見て取ったのです。
それを第三の眼と言うのか、感覚が鋭くなったと言うのか、わかりません。

生きていくために必要な能力だから発達したのだと言ってしまえばそうなのでしょう。

しかし、人間の身体の測り知れない能力に触れ、ただただ感動するばかりでした。

目で見るだけが視覚ではない!

とうとう、私は、どうしても聞いてみたかった質問をしました。

「〇〇さんは、朝が来たらわかるの?」
「うん、わかるよ。」

アテンドさんは、生まれつき視覚障害があったそうです。
少しだけ光と色は感じるそうです。だから、わかると答えてくれました。

また、健常者のご家族の方より方向感覚が優れていて、生活範囲の地図は頭に入っているとも教えてくれました。

コンビニもチェーンによって匂いが違うからわかるようです。

私は完全に視覚優位タイプです。

私たちは、目から入った光を電気信号で脳の裏側に情報を届けています。そこでこれまでの脳の情報も踏まえ、これを見ているのだと映像化しているのです。真実だと思っていたことが虚像だったりすることもままあります。

もちろんそれでも、こうして光や色を感じられる視覚があることは有難く大切にしていきたい機能です。

ただ、視覚にだけ頼らずに、全身の感覚を使ってその光景を見たときに、
・何か違う景色が見える(感じられる)のではないだろうか
・そうやって、自分の身体の中に眠る無限の可能性を少しずつ広げていった先にどんな景色が見えてくるのだろうか

感覚は研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど、不可能だと決めつけていたことでさえ視覚としてキャッチできるのではないだろうか?

そんな無限の可能性を感じました。

そこは、まるで人生の縮図でした

未知の世界への期待や憧れと背中合わせにセットで現れる不安や怖れ

それをどう奮い立たせて一歩前に足を踏み出していくか。
私たちは人生の中で、何度もこうした選択を迫られる場面に出くわし、肚をくくって前に進みだしていきます。

暗中模索
答えはあるようでないのです。
信じるのは自分の心、それでよかったと許せる気持ち、そして、ともに助け合える仲間がいれば、前に進むことができます。

一人暮らしであっても、生活に必要な物資はだれかが創り出し、運んでくれるから手に入れることができているのです。決して一人では生きていけないのです。

どんなに怯えていても、どんなに楽しくても、いつかは必ず終わりがきます。人との出会いと別れ、そして、私たちの生と死。これだけは絶対に避けられないのです。

だからこそ、そこにいる時間をいかに楽しむか、思い残すことなくチャレンジしてみるか、なのだと思います。

あの暗闇の世界は、その人生の縮図を体験できる空間でした。
不必要に作っている垣根を取っ払い、あるがままの真実の姿でいいのだと気づかせてくれる空間でした。

良いとか悪いとかではなく、
せっかく五感を感じられる身体で生まれてきたのですから、それらをフルに活用することで、これまでとは違う物の見え方や人の感じ方を受取れるかもしれません。

限られた時間です。思いっきり、生きていきましょう!













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