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苦しくない方は

今日は母方の祖母の四十九日です

行くことにしていたのですが

昨日、母の為に行くのはやめよう

往復5時間父母と同じ車の中と考えたら

全く力が入らないと思ったのでやめました


一緒に供養したいエネルギーが見つかり

それは祖母にも、母にもある

全て祖父が悪い、全て父が悪い

という受け継がれた思い込み

男性への異常なまでのフィルターだと思います


それぞれが、独立しているはずなのに

独立しないままだから

重たくのしかかり

ぐちゃぐちゃなまま


言葉にもしたくないですが

攻撃や不和が当たり前の世界

緊迫のエネルギー

何かが起こる大変な状況に今いるように

汚い言葉でこれでもかと攻撃してる

でも、どう見てもそれは、起きていない


そこに触れるのはもう嫌

無理という私のいうことを聴いて

行動として自分を守ることができました


なんで?っていう出来事が

何個か思い出され

過去の私は

愛されてないとその度感じています

母の私を扱うひどいエネルギー

やりたくないのに、理由なくダメらしい

つべこべ言わずやれ、と言ってる

ヒステリックな無言のコンクリートみたいな冷たい壁。入ってこないでと言っている

振り払われる。今は、何も触れてはいけない

私の将来に関わることなのに、母の思う通りにしないと母が耐えられないらしい

私にお金はかかってはいけないらしい

私が幸せなことを母は喜ばないようだ

私は母に幸せを与える存在ではないようだ


この中に私はいたっていうこと

この異常な世界を頼っていたけど

今は時間が流れていて

今は本当はこの中にいない

実際は

たくさんの方に支えられて

大切にされていることも感じている


私の異常な性別フィルターがなければ

男女関係なく私は大切にされている


話し合いができるなら

色々なことは合意が図られて

それができたら色々が

スムーズなことがわかる


色々な人と話し合いにならなかったのは

私が父母に愛されなくて

その時のまま

環境が全く変わってる場面でも

また同じように愛されないのが怖くて

先に遮断、拒絶を繰り返して

いるからだという

ことがわかってきました


やるのが苦しいなら、やらなきゃいいし

やらないのが苦しいなら、やればいい

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