見出し画像

紐を解く

向き合うために、私の中をみた時


私をその目で見ないでっていう

大嫌いなエネルギーがあります

私を縛ろうとする大嫌いなエネルギー

寒気がする大嫌いなエネルギー

追い出したいエネルギー

離れたいエネルギー

重たいエネルギー

寂しいエネルギー

じっと監視するエネルギー

このエネルギーから物理的に逃げた後

この塊は、幻覚になって

見えたこともあります


見守る愛情の目ではないです

愛情からの視線は違うと感じるからです


私を見るのは

どこにも行かないか

逃げようとしていないか

置いていかないか

ずっと見張られるような

寂しい目で

常に確認される

強迫的な

ずっと満たせよ

十分養っているだろ

というエネルギー

でも扱いは

所有物感覚

車と一緒

ぬいぐるみと一緒

あればよい物

そこにあれば安心する物

そこにあるかを確認されてきた

解禁ですが

私に限らず

女性は性欲を満たす物として見ている

私もそう扱われたことがある

いやらしく見てくる

親類にそれをされるのは

不快でしかない

常に警戒してきた

愛を与えずそれをする

むしろ愛がないからそんなことができるのだ

シンプルに、一方的に、傷つけられただけだと理解したい


受け入れられず

うやむやにしてきましたが事実は


愛を受けたことはない

感情を与えられたことはない

私の感情を受け入れられたことはない

私の心の動きに興味をもたれたことはない

むしろそんなのは面倒くさいから遮断される

意識の中にない

深い話をしたり

愛を感じるように話かけられたり

話を聞いてくれることはなかった

真剣に向きあってくれることはなかった

愛情を与える対象として扱われたことがない

それは当然で

物にそれをする必要がないからだろう


いなくなれば不都合

寂しさがおそうから

満たされないから


このエネルギーと境界線を引きたい


言語化ができました

なぜ不快だったか

なぜ線をひけなかったか


不快だったね

当たり前だね

そう感じていいよ

よく耐えたね

もう耐えなくていいよ


境界線をひくことは

どこか残酷に感じてきた

だから線をひけなかった


うやむやにして私のバランスを

とらないと

今度は私が生きてけなくなるから

寂しすぎて

殺す気か?みたいな目でみられたから

線をひけなかった


でも気づかれないように線をひきます

少しも入ってこないように

透明な壁(バリア)を張ります


この強烈な寂しさがどこからきたか

心当たりはあって

祖母の母が早くに亡くなったこと

おばあちゃんはお母さんを亡くして

強烈に寂しくてその寂しさではないか

この事情なら

この寂しさが引き継がれてきてしまったことを

愛をもって受け入れて、心に線をひけると思う


この寂しさは

父でもなく

私でもなく

祖母だろう


実際

その祖母も、最期まで一人ではなかった

父も実際一人ではないだろう


これは自己理解で

私は線を破壊されたので

人間関係はうまく結べない

私自身が機能不全

認めざるをえない

現実が見えたことを喜びたい

他の男性と関係をもつと

静かに怒りを向けられるような

また、殺す気かみたいなエネルギーが

向けられるような気がして怖い

これなら身動きがとれなくて当たり前

これは心理的にやられてる

周りの人にどう映るかは気にはならなくなったけど

たぶん私は何で傷つくかわからない

危うい人に映っているかもしれない


父母は私の変化に敏感で

それは今も変わらないから

身動きがとれないと思ってきたけど

本当にそうかは

新しい目で見てみたい


父母から逃げるには

騙すしかなかった


騙して逃げた後は

ついに、カツカツになり

愛に飢えた感覚がありました


死を受け入れ

私が明日死ぬ可能性も0ではないなら

そうなっても、父母は苦しくても

どうにか生きていくでしょう

これ以上、これまでと同じ感覚で

とらわれて父母を支えるか

自分にとって苦しい意味づけをするか

そのレベルで考えたら

その必要はないかもしれない

もう十分かもしれない

よく支えました

私の人生を破壊することを

本当の父母は望まないだろうから

私は私を守ることに残酷さや

罪悪感をもたずに

むしろ誇りをもつくらいで

いいのかもしれない

最後の最後は誰も何も覚えていない

なかったことのように

まっさらになるのも

わかっている


私も人に置いてかないでを

してしまっていたのは

この強烈な寂しさのエネルギーだった


仮に置いていかれたら

寂しくて生きていけないか

父母に言いたいように

そんなことはなくて

生きていくんだと思います


父母に、もう変わってくれと頼まないです

愛をくださいと言わないです

またその目で見てきても、許します

引っ張られません


変わらなくていいけど

何か批判されたとしても

揺さぶられたとしても

何が発信源がわかるので

私はこれ以上

破壊されない距離を保って

幸せに生きよう

と思いました


依存してたってことは

悪くないとは思うけど

どんな状況だったか理解できてきました


私はこれから

愛情を与えられる側の人になりたいし

これからは、見えつつありますが

私が想像する以上に

鮮やかな豊かな

素晴らしい世界を見たいです

ハチャメチャだったなぁ(^_^;)

と認めて

その分、鮮やかさは

私の中にもある気がします

※最近見た、ディズニーの「ラプンツェルの塔」は、束縛と自由が描かれていて、私に気づきをくれました

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?