私の音楽の履歴書と愛するKagrra,のこと

#音楽の履歴書  という記事を見つけて面白そうなので書いてみることにします。このアーティストのこういうところが好きというのは押しつけがましくなってしまいそうなので書きません。
半分以上は私の愛するアーティストとのお話です。

生まれて初めて好きになったアーティスト

小学校3年生の時、T.M.Revolution/西川貴教です。
当時父親の仕事でインドネシアに住んでおり、日本のTVはNHKと祖父が録画して送ってくれるアニメのビデオだけでした。
NHKのポップジャムという歌番組でT.M.Rを初めて見ます。
上半身裸にジャケットとネクタイという格好にドン引き(笑)
(WHITE BREATHの時です)
でも、頭の中に曲とあの姿がずーっと残って気になっていて。
名前を覚えていなかったので、日本に住む従姉に特徴を話すとCDを送ってくれました。

SMAPも好きだった。
日本に一時帰国した時、ちょうど出たばかりの「青いイナズマ」のCDを母が買ってきました。同じアパートの日本人の子がSMAPのCDをたくさん持っていて貸してもらったりもしました。

そのあと小学生の間は当時人気だったモーニング娘。や、SPEED、MAXをよく聴きました。(私はSPEEDよりMAX派)
あとV6やTOKIOなどのジャニーズ系のアーティストも好きでした。
小学6年生くらいのとき父の影響で70年代の歌謡曲を聴いていた時期がありました。
父は岩崎宏美のファンで私も「聖母たちのララバイ」が好きでした。
その他キャンディーズやピンクレディーなどもよく聴いたかな。
母の影響で鈴木雅之もよく聴いていました。
思えば1番色々な世代の曲を聴いていた時期だったかもしれません。

突然のジャンル変更

中学生の時に、アニメにハマりました。
友達から借りた「テニスの王子様」の漫画からアニメに入り、声優さんのファンになった。
そこから声優さんが歌うキャラソンやアニメの主題歌が好きになりました。
好きな声優さんは甲斐田ゆきさんと櫻井孝宏さんでした。

中学生の時よく聴いていたのはアニソンかV6だったかな。
あとはその時流行っていた曲をTSUTAYAで借りてきてはMDに入れて聴いていたように思います。

原点回帰と人生を変える出会い

高校に入って、徐々にアニメを観ることが減っていきます。
好きなアニメは時々観ていたが、寮生活になったのでなかなか観る時間がなくなっていきました。
高校1年生の終わりごろから、私の中でT.M.Revolutionが再びブームになります。
きっかけはやっぱりアニメで「機動戦士ガンダムSEED」の主題歌や登場人物の声を西川さんが担当していたことがきっかけでまた聴くように。
元々好きだったので、どんどん盛り上がり持っていなかったCDを集めたり、特集されていた雑誌もたくさん買っていました。

そんな中、私は運命の出会いをします。
2004年の7月、高校2年生の時でした。
はまっていたT.M.Revolutionが巻頭特集されていた雑誌「ARENA37℃」を購入して読んでいたとき、特集を読み終わりふと「せっかく買ったのに巻頭しか読まないのは勿体ないな」と思ったのです。
普通の人はどうなのかわかりませんが、基本的に目当ての人が載っている雑誌は目当ての人の記事しか読まない人間なので何故この時こんな風に思ったのか今でもわかりません。
そしてページをペラペラめくっていたときに1つの記事が目に留まります。
雑誌の後ろの方、見開きの片面、決して大きな扱いではなかったのですが、とてもインパクトのあるアー写が目に飛び込んできました。
その記事から私の人生は大きく変わります。

その記事はヴィジュアル系ロックバンド Kagrra,の記事でした。
2000年6月3日に結成し、2011年3月3日に解散したバンドです。
バンドのコンセプトは「ネオジャパネスク」
和とロックの融合を目指したバンドです。
私が出会ったのは2004年7月、2004年1月1日にメジャーデビューして2枚目のシングル「凛」が発売された頃でした。
私はこの日から解散までの約7年をKagrra,と共に歩むことになります。

記事を読み、興味が湧いた私はKagrra,の着メロをダウンロードします。
今のようにスマホもサブスクもない時です。
着うたも高くて買えなかったので、安価だった着メロを買いました。
するとその着メロがとても良いメロディー!
私は当時発売されていたCDを調べ、自転車で奈良県橿原市のタワレコに走ります。雑誌を見てからたったの2時間ほどのことです。
タワレコには2枚のCDが置いてありました。
メジャーデビューシングル「愁」とセカンドシングルの「凛」
2枚とも購入し、帰宅後さっそく聴きます。
曲を流した瞬間、確信します。
「あ、私これ好きだわ」

それから発売されていたCDやDVDを集め、ファンクラブに入り、翌2005年4月5日、初めてKagrra,のライブに行きます。
「沙羅~懐かしの楽園~」ツアー、場所はOSAKA BANANA HALLです。
生まれて初めてのスタンディングライブ。仲の良かった友達にも勧めて気に入ってくれたので一緒に行きました。
寮は保護者の許可のない外泊は禁止でしたが、保護者のサインを偽造して友達の家に外泊しました。(突然のカミングアウト)(時効だよね?笑)
最初はBassの女雅(なお)さんが気になっていましたが、ライブが終わる頃私はVocalの一志(いっし)さんのファンになっていました。 

出逢ってから解散までの7年、高校を出てからは東京に遠征したり、ファンクラブ旅行に行ったりと楽しい日々でした。
熱心に通っていたので一志さんには顔と名前を覚えてもらえて、握手会などでは名前を呼んでもらったりしました。
初ライブの時に一緒に行った友達とは途中で仲違いしてしまいましたが、今本音で言い合える関係になった友達はKagrra,のライブで知り合いました。
生活の中にKagrra,がすっかり溶け込んで、なくてはならない存在でした。

Kagrra,の解散

Kagrra,の解散が発表されたのが2010年11月11日、ちょうど10年前の今日。
この日、私は仕事が休みで家にいました。
朝から何だか胸騒ぎがしたのを覚えています。
たしか正午だったか、オフィシャルサイトに大きく「終焉」の文字が出て2011年3月3日に解散することが発表されました。
意外にも私は冷静でした。
同時に発表された解散までのスケジュールを見て、解散までの約4か月を絶対に後悔しないようにしようと動き出しました。
当時仕事に悩んで転職活動を始めていましたが、即刻中止。
傍から見たらバカだと思うかもしれませんが、面接の予定も全て辞退しました。
12月の最後のファンクラブ限定ライブ、1月に最後のファンクラブ旅行、2月にラストアルバム発売とインストアイベント、最後の全国ツアー、そして3月3日のラストライブ。全部行こうと決めました。

チケットを申し込みましたが、ラストツアーということもあって普段絶対にSOLDしなかった会場が抽選に。
会場を大きくしたり、2か所で公演したりと開催側も尽力してくれました。
私は北海道、仙台、福岡、大阪2か所、名古屋のうち大阪1か所が取れず、仙台と交換してもらったため仙台のライブは行けませんでしたが、大阪が大好きなライブハウスでどうしても行きたかったので行けてとても満足しています。
仕事は当時自由シフト制だったので、休みを全国ツアー日程に合わせて1日おきに休んだり半日勤務したり13連勤したりしましたが、今では絶対出来ないですね。会社の方にも迷惑かけました。

このラストツアーのSOLDについてメンバーの方が言った言葉が今も忘れられません。
今まで私は行けるところはたくさん行ったけれど、ソールドアウトすることは滅多になかったんですよね。
でも最後になってたくさん申込があって、どの会場もソールドアウト。
ラジオで「どこにこんなに隠れていたんだろうね」というメンバーさんの言葉、とても悲しかった。
目立ったのが最後になって「1回くらい行きたい」「今まで行けなかったけどずっと行きたかった」と言ってチケットを探している人が多かったこと。
この人達が今まで行っていれば、もしかしたら解散することもなかったかもしれないと思うと、とてももやもやした気持ちになりました。
音楽にかける熱意は人それぞれだけど、最後の最後になってずっと行きたかったと騒ぐ人は大嫌いです。
大好きなら、ライブに行きたいなら今行こう。
「いつまでも いると思うな 親と推し」

最後のファンクラブライブ、ファンクラブ旅行、全国ツアーを終えて2011年3月3日渋谷公会堂(渋谷C.C.Lemn Hall)でのラストライブでした。
解散が発表されてからびっくりするくらいあっという間でしたが、この4か月が今思うと人生で一番青春してるな~!と感じるくらいとても充実して楽しい時間だったように思います。

ラストライブの日、私は母から借りた振袖を着ていました。
私は高校に入る頃両親が離婚し、母の再婚で奈良県の山間部に引っ越しました。そこは冬は雪深く、村外に出ている子たちが成人の日の頃は帰省しにくいという理由から成人式をお盆に開催していました。
そのため、私は汗で着物が傷むからと振袖を着せてもらえずとても悲しい想いをしました。
だから、このラストライブの日に夢だった振袖と白いもこもこをつけて参加しようと決めていました。
ホテルで着付けしてくれる着付師さんを探し、部屋に着付師さんを上げても良いかホテル側と交渉し、髪のセットサロンを探し・・・
やりたいと思ったことに対しては本当に力を尽くせるんだなと自分でも驚きました。
ライブ当日、会場にはいろんな人がいました。
私は振袖をかっちり着て、友達は留袖をアレンジして着ていて、他にもコスプレをしていたり私と同じように振袖を着ている人もいました。
皆、最後のライブだから後悔しないようにしていたんだろうな。

ライブはいつも通り始まり、そしていつも通り終わりました。
驚くほど、いつも通り。
また5月くらいに新曲が出て、6月には11周年のライブが開催される。
まだ続きがあるような、そんな終わり方でした。
ラストアルバムの曲は1曲もやりませんでした。
メンバーさん個々の好きな曲やライブの定番曲が盛り込まれた、でもちょっともの足りないような、また参加したくなるようなライブでした。

解散後と今

Kagrra,が解散して、今年で9年が経ちました。
この9年の間に色々なことがありました。
Vocalの一志さんが亡くなられたり、他のメンバーさんもそれぞれ違う道を歩んでいます。
私自身もこの9年で色々変わりました。
舞台にハマって、今はあのころのように楽しい毎日を過ごしています。
今は特定のアーティストを熱心に応援したりはしていませんが、米津玄師やBack Numberなんかが好きでよく聴いています。
流行りの曲も聴くようにしています。
私の前にKagrra,ほどに情熱を注げるアーティストはこの先現れることはないでしょう。
でも、世の中には素敵な音楽がたくさんありますよね。
正直今私はあまりKagrra,を聴かないんです。
Kagrra,は私にとって背中を押してくれる存在なのです。
毎日聴いて飽きるくらいなら、どうしても聴きたくなったときに聴くくらいがちょうど良いなと思っています。
楽しいときに聴きたい曲って世の中にたくさんあるけど、苦しくなった時にそっと背中を押してくれる存在って多分そんなにいないんですよ。
私にとってそれは唯一無二Kagrra,だけだなって思います。


今年の6月3日でKagrra,は20周年でした。
今でも毎年6月3日は花を飾ってKagrra,の記念日をお祝いしています。
私の中ではずっと続いているんです。
あの2011年3月3日のライブの続きが観られる日をずっと待っています。
私が死んで、他のメンバーさん達も亡くなったら、一志さんが待っているあっちの世界でまたKagrra,のライブに参加するんだ。
だから今私は頑張る。頑張って生きています。

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