16歳で中絶した話

中学生の頃、初めての彼氏ができた。
彼氏との付き合いは、周囲から見ると順調で、結婚すると思われていたらしい。

私が暮らしている沖縄県は、若年出生率も、出生率も、離婚率も、貧困率も高いく、生活者として違和感なく生きている。

ある日、風邪を拗らせてしまったかと思うような吐き気がした。ふと、一度だけ破けたコンドームの事を思い出し、恐怖感でいっぱいになり、泣き出してしまう。

すぐ、近所のドラッグストアに行き、妊娠検査薬を買った。結果は陽性。妊娠していた。

私は困惑し、友人達に電話した。
数名の友人は、当然のように「おめでとう!結婚するんでしょ!」と、出産を前提に話を進める。これは、私と価値観が合わないと思い、幼馴染に電話した。

「みんな16とか17で産んでるけど、教育とかどうするの?」

私が待っていたのは、このような問いだ。
不安に思っていたのは、電話した友人全員が中卒で、10代で出産していた。だから、当たり前のように産む選択肢しかなかったのだ。そういったコミュニティーに属していたから、私の不安は理解されにくいのは当然のことだった。

ぬちどぅ宝

沖縄の言葉だ。
だけど、私には子育てをする自信がない。
子どもに何を与えられるのだろうか。数日間、自問自答しながら、泣き続けた。自分の無力さが情けない。学もなければ、お金もない。彼氏も同じだ。

とはいえ、彼氏は、私が子どもを産むと思い込んでいた。中絶をすると伝えたときは、激怒し「俺の子どもを殺すのか!」と言われ、動揺してしまった。

結局、彼氏の意見は無視して中絶することに。幼馴染が付き添ってくれた。

心の傷は癒えないけれども、10代で出産した同級生を見ていると、教育意識は低い。まるで、再生産しているかのように見える。

同級生の子どもの中には、クリスマスプレゼントにゲームソフトだけ貰い、ゲーム機がない子。小学校5年生なのに、小学校3年生の応用問題が解けなくて、きちんとした敬語ではなく、親が教えたであろうヤンキーちっくな敬語のような言葉で話をかけてくる。

結局、18歳で結婚して、20歳で出産し、21歳で離婚した。それから高校を卒業し、今は大学生をしている。教員免許をとる予定だ。教員採用試験を受けるかは分からないけれど。

娘は、小学校1年生から塾に通い日能研のテキストをやっていた。今は、中学2年生の英語の全国模試の過去問は7割解ける。親としては、8割とってほしいけれども、勉強するのが嫌いになったら無意味だから強制はしない。自ら必要性を感じるように導くのが親としての責任だと考えている。

20歳で出産したから高校卒業し、大学にいく選択をした。もし、16歳で出産していたらと想像するとゾッとする。きっと、子どもに与えられるものはなかったのだ。

私たちのような10代で出産を迫られる女子は、社会的弱者として扱われる。しかし、私たち自身の価値観が変わらない限り、どんな社会保障制度があっても無駄だと感じてしまう。

そもそも、子どもを抱えながら高校を卒業すること、高校卒業認定試験の勉強をすることがどれだけ大変なことか一般社会の人達に分かるのだろうか。

それでも、私の同級生たちは、社会的弱者扱いをされたくないがゆえに、ずっと低賃金で働いている。それは、子どもの将来の選択肢に影響してしまう。

マスメディアやインテリたちは、簡単に「支援」や「お手伝い」という言葉を使い、私の同級生たちを社会的弱者にする。

彼女達は、それを嫌い、自立したがっているのにも関わらずだ。本当の救済とは、いったいなんなのか考えさせられる。

私は、元彼と私の胎児を殺した。
しかし、その子を産んでいたとしてしても、娘のように愛情を注ぎ、見守り、経験や体験、教育を与えられただろうか。

社会的弱者救済のために、賃金や制度の金額を増やすのは良いことだと思う。
しかし、残念なことに「価値観」に根本的な問題があるのだと考えている。

彼女らの価値観をどう変えていくのか、救済するための資金をどうするのか。ダブルアプローチが求められるのだ。

どちらか一方だけでは解決しない問題だということに研究者たちは、彼女たちのことを尊重しているのだろう。とはいえ、生まれてくる命の重さを考慮すると、私には、彼女たちの価値観を尊重する理由も倫理観もない。

私は、自己解決するために中絶を選択した。
そして、属していたコミュニティーからは、白い目で見られていた。まるで、私が人殺しのように。それでも、生まれてくる命の重さを考えたら、間違ったことはしていないと思う。

こんな経験をした私としては、マスメディアがとりあげる有識者のアプローチはひとつだけか、弱者にしたてあげるものばかりだ。

ダブルアプローチの視点が欠けている。
マスメディアも有識者も、何を考えているのか分からない。本気で問題を解決したいのであれば、彼女たちの「価値観」とも真摯に向き合うべきだろう。

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