選択する上で指針となるもの
一秒先は未知の世界。常にその繰り返し。
多様性と言われている現代。今と昔では教育環境が違うかもしれませんが、私が育ってきた教育環境(学校)では、間違えると怒られる・正解だったら褒められる。正解であることが、周りに肯定されながら生きるための術であり、〝間違うこと〟は、否定されることであると共に、まるで恥であるかのような感覚を、私は学生時代、長い時間をかけて培い、生きてきました。
でも、社会に出たらそれは一転しました。
人生というのは、何かが起きたとしても、学校で行なわれたような『回答用紙と正解』がありません。
あるのは、正解ではなく、選択肢。
そんな正解のない人生の中で、いくら正解探しをしたとしても、途方にくれるばかりです。私たちが出来ることといえば、常に『自分が選んだ道を正解にしていく』ということだけだ。ということを、人生の岐路に立つ度に、何度も何度も痛感してきました。
では、そもそも、なぜ人は、正解を探すのでしょうか。
それはきっと『最悪な状況を避けたい』『周りに認められたい』『より良い人生を送りたい』『この選択が自分にとって、より良い未来に繋がるものであって欲しい』『理想の人生をいきたい』『幸せになりたい』など、選択の先にある自分の笑顔や周りにいる人たちの笑顔、そして、何よりも〝幸せ〟に繋げていきたいからなんじゃないかな?と、自分の人生を振り返りながら思います。
では、幸せとは一体何なのでしょうか。これもまた正解はなく『自分にとっての幸せ』を見つけていくしかありません。
なぜならば『自分にとっての幸せ』が『他人にとっての幸せ』とイコールではないからです。つまり、幸せとは感覚的なものであり、一人ひとり違うものだからです。
例えば、チョコレート好きの人にとってチョコレートを食べることが幸せであっても、チョコレート嫌いな人にとっては、チョコレートを食べることが地獄であるかのように。
〝嫌われたくない〟〝変な人だと思われたくない〟〝いい子でいたい〟
そんな思いが強かった私は、周りの目を気にしては、どんな選択だと正解になるのか。(周りの人に嫌われないか)など、人それぞれ価値観が違うというのに、人目を気にしては、迷い、彷徨いながら生きてきた期間が非常に長かったなぁと思います。(今もまだまだ、その傾向が多々残っているかもしれませんが・・・)
でも、自分の中に、選択するための判断基準や指針・視点が出来ると、それらが選択するためのヒントとなり、何かに迷ったとしても、一旦そこに立ち戻り〝自分にとっての正解〟を見つけながら、自ら決断し行動することが出来るようになります。
その〝指針〟が明確になったことで、私自身も、何かに迷った時に、一旦初心に戻り、様々な迷いや葛藤・雑念を取り払い『純粋な視点に立って選択をするためのヒント』になっています。
私にとって、選択する時の〝指針〟や〝視点〟はいくつかあるのですが、その中でも、重要な判断基準となっていることがあります。それは、私自身が『どんな感情で今世を終わらせたいか。』が明確になった時に出来上がりました。
その指針・視点は『愛と感謝』
これは、私がこれから先、一生かけて取り組み、育んでいくテーマです。
ここから先は、どのようにしてその『愛と感謝』という指針・視点が出来たのかをお話ししていきたいと思います。
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※ここからのエピソードは、今は亡き父と私のエピソードとなります。父は、命を通して、最後の最後まで私に大切なことをたくさん教えてくれました。なので、親愛なる父への感謝と敬意を持って、この先を書き綴っていこうと思います。
数年前、私の親愛なる父が他界しました。その当時は、ちょうどコロナ禍に突入した時期でもあり、世の中は強制的なステイホーム期間へと突入していました。そのお陰で、私は、父が他界するまでの約8ヶ月間、命の終わりに向かっていく姿を見守りながらほぼ24時間一緒に過ごし、今までの伝えられなかった想いを伝え合いながら、時には、今まで見えてなかった父の気持ちにも触れ、さらには、大変なことや葛藤などという、父との大切な記憶を積み重ねながら、命の終わりを見届けることが出来ました。
健全な状態で『死』が近づいていく時。人間の身体は、徐々に健康的な肉体が失われ、次に若々しさが失われていきます。そして、最後に肉体から魂が離れる瞬間に残っているものは、『記憶や感情なんだろうな』と、父の表情や仕草を見ながら思いました。
きっと、父の脳裏には、自分の人生を通して経験・体験をしてきたかけがえのない『記憶たち』が走馬灯のように駆け巡りながら、いい人生だったなぁ。と思っているんだろうなぁと思いました。
私がそのように思うには理由があって、一緒に過ごした最後の約8ヶ月間、父が人生を振り返りながら語る言葉の数々には、後悔の言葉がなく、さらに『命』が終わりに近づいていた時に父が力を振り絞って伝えてくれていたことが、周りへの愛や感謝のことばかりだったからです。
〝私も、自分の魂が肉体から離れる瞬間、意識が遠のく中、自分脳裏によぎる記憶たちは、周りへの愛や感謝で終えていける人生を送ろう。良い人生だったなぁ。と思いながら、自分の命を終えていこう〟と、父を看取り、父の死を受け入れながら、思いました。
命の最期が、後悔や、怒り・悲しみの感情で終わる未来は絶対迎えたくない!!!と。
私が、周りへの愛や感謝の気持ちでいっぱいである人生を送りながらも、私の生き方の延長線上に、もれなく、自分を看取ってくれる親愛なる人たちが、私に対して、愛や感謝を感じてくれる人生だったら、それは、願ってもないほど幸せなことだな・・・と。
この『私が最期に感じたいこと』が明確になり、私は、日々の中で『愛と感謝』を感じられる記憶を積み重ねていこう。と決めました。
今でも、常に『〝未〟だ〝来〟ていない未来』である『未知なる瞬間』を常に迎えてながら生きているので、迷ったり、つまづいたりすることは多々ありますが、何かに迷ったとき、それは『愛に基づく選択なのか』『人生の最期に愛と感謝を感じられる記憶となるか』そして『自分に嘘をついて後悔のある選択になっていないか』
と、私が自分を見失いそうになる度に、この視点に立ち返り、選択するようにしています。
あなたには、生きていく上で指針になるものはありますか?それがあると、何かに迷った時や決断をする時、正解のない人生の中で、選択をしていくヒントになるかもしれません。
もしも、今、あなたにそのような〝指針〟や〝視点〟がなかったとしても、焦ったり、血眼になって探す必要はありません。これらは、日々の日常の何気ない暮らしの中に潜んでいたりするもので、経験と共に見つけたり育まれていくものです。自分の人生を生きながら、見つけていくもの。私自身、これからも様々な人たちに出逢い・様々な言葉に触れ、様々な経験や体験を通して、視点を更新して想いをブラッシュアップしていくだろうと思います。
もしも、私のこの記事が、あなたが、心豊かに生きていくためのヒントになっていたら、とても嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
愛と感謝を込めて
ゆか
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どんな選択肢をしたとしても
人生は選択した方向で展開いく。
あなたがあなたらしく
生きていくためのガイドとなる
『指針』や『視点』を持つことは
必ずあなたの人生の助けとなる。
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