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2026年。子どもを産まないように言われるあの年が60年ぶりにやってくる。

本日2023年4月3日から、新省庁「こども家庭庁」が事業を開始します。少子化問題、次元の異なる段階になるそうです。
私は、失われた30年間に生まれ育った人が、安心して子供を産んで育てる国になるのに、頭の固い政治家のおじいちゃんたちを一掃する必要があるし、今の日本は色々な資源が足りない気がするのですが、その話はまた今度。

さて、私は、丙午(ひとえうま)の女です。こういうと、今の若い子たちは「何それ、新しい星占い?」みたいな顔をするんです。「ねずみ年」「うし年」……という十二支以外に、甲・乙・丙・丁……と、十干というのがあり、その組み合わせ、12と10の最小公倍数で、分類は60あるってことを知らないらしいのです。「私、うさぎ年~」という人は、今年、年女、年男だと思いますが、何のうさぎ年なのか、知っている人はほとんどいないのでは?
ちなみに、今年2023年は、みずのとう(癸卯)です。60年に一度、このみずのとう(癸卯)は回って来るので、今年還暦になる方も、みずのとう(癸卯)年生まれです。
でも、普通は、十干(甲、乙、丙、丁……)を合わせて自分の年を語りませんよね?
ところが、丙午(ひのえうま)の女は語るんですよ。

次の図表は、最近少子化問題なのでよく取り上げられる図です。どんどん人口が減ってるのが分かると思いますが、ちょっと見てください。1966年、私が生まれた年です。ガクッとその年だけ人口が少ない。前後で少数と出生率を見てみましょう。
1965年は 出生数 1,823,697 人、出生率 2.14
1966年は 出生数 1,360,974 人、出生率 1.58
1967年は 出生数 1,935,647 人、出生率 2.23
1966年は1965年と比べて、462,723人も減少しています。でも1966年が終わり、1967年になると、574,673人増えています。つまり1966年だけ、めちゃくちゃ減少してるんですね。
なぜかと言うとこの1966年がひのえうま(丙午)の年だったからです。このひのえうま(丙午)に子どもを産むのは縁起が悪いとされていたのです。

厚生労働省HPより

昔から、ひのえうま(丙午)の女性は、男性を喰ってしまうと言われ、なるべくこの年の女性と結婚しないという風潮がありました。お年寄りから聞いた話では、この年、女の子が生まれるとそのまま流していた人もいたらしいです。今の若い子には、本当に信じられない話だと思うし、ひのえうま(丙)当人である私から見ても、とんでもない話で、むしろ、そんな大変な噂のある中、よく私を生んでくれたね。お母さん、ありがとう。と思う。
むしろ、自分がひのえうま(丙午)であることを意識して育った女性は、本当に強くなったと思う。私の周囲の丙午の女性は、みんな自立した人が多い。
さすがにこの迷信を未だに信じてる人はいないと思うが、例えば祖父母の世代で未だにこの迷信を信じて人がいて、「あの年は避けた方がいい」とか「ひのえうま(丙午)に当たらないように結婚を1年間遅らせた方がいい」とか言われたり、そういう操作が少しでも行われた場合。前回の46万人減とまではいかないが、ちょっと減っただけでも、せっかくの少子化対策が台無しになるくらいの人口減は起きると思われます。
仮にこのままのペースで人口が減り続け、2026年にふたたびひのえうま(丙午)問題が出現し、本当に子供が減った場合、出生数が60万人を切る可能性も大いにあります。

ではなぜ、このひのえうま(丙午)に生まれた女性が気性が激しいだの、男を喰らうだの、物騒な迷信になったかというと、一説に、江戸時代の八百屋お七がひのえうま(丙午)年生まれだったからというのがあります。
江戸時代。八百屋お七は、その名の通り、八百屋の娘だったが、火事をきっかけに知り合った男性に恋をし、もう一度その人に会いたいという思いで、せっかく建て直した家に、また火をつけてしまった人。それが有名な話になり、歌舞伎の題材などにもなっています。
そのお七が、ひのえうま(丙午)の生まれだったため、こんな女性にはなってほしくないと思ったのでしょう。迷信だけが膨らみ、現実に、人口を減らすような話になりました。
ひのえうま(丙午)は、60年に1度巡ってくるので、私たち1966年生まれの前のひのえうま(丙午)、1906年生まれの人も当然ひのえうま(丙午)になるのですが、この時代のひのえうま(丙午)の女性には多くの悲劇がありました。

1924 (大正 13) 年に, 秋田県 の女性が, 「友達がみんな結婚してしまったのに 自分だけは丙午生まれのために縁談がないのを悲 観して」 消毒液を飲んで自殺, 1928 (昭和 3) 年 には 2 人の女性が 「自分たちふたりは丙午で, と もに結婚できない, はかない者です。」 と書き残 し, 東京の品川海岸から投身自殺したという。 こ のような例は, 年間十数件あったという。

丙午世代のその後 統計から分かること 赤林 英夫 (慶應義塾大学教授)

こんな悲しい歴史を持つひのえうま(丙午)の女性たち。なかったことにすると生まれてすぐに流された女の子たち。迷信や噂が悲劇になる例です。
私は、生まれてからずっと、自分がひのえうま(丙午)であることはいしきしていたけれど、男性に「あ、丙午の女性なんですね」と言われたことは一度もありません。他の年生まれの女性から見て、気性が激しいと思われたこともないし、男を喰ったことも、まだありません(笑)
実例として、科学的にも、ひのえうま(丙午)の女性には、特に他の年の女性と比べ、これと言った特徴は何もないということはわかっていただけたんじゃないかと思います。
実際、統計的に見ても、この1966年生まれの就職率や結婚率に、特に目立った特徴はなかったそうです。

この科学的事実をもうちょっときちんと世間に認識してもらい、そしてできたら、ひのえうま(丙午)に生まれて良かったことなどを、ひのえうま(丙午)の人たちがアピールし続けると、迷信による人口減少というような、近代国家にあっては笑われるようなことがなくなるのではないでしょうか。

八百屋お七は、さる年だった件

実はその後の調べで、この八百屋お七は、1666年生まれではなく、2年後の1668年生まれであることが判明しました。つまり戊申(つちのえさる)です。八百屋お七は、さる年だったのです。いやー、ひのえうま(丙午)のみなさん、とんだ濡れ衣を着させられましたね。

つちのえさる(戊申)は、ちょうど私の二つ下の妹の年で、むしろ、彼女の年は、ベビーブームに当たるくらい、子供がたくさん生まれました。私の友達にもこのつちのえさる(戊申)の人が多くて「1968年生まれです」って聞くたびに、少し理不尽な気持ちになる、1966年生まれ、ひのえうま(丙午)のおばさんなのでした。

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