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恩返しの押し売り~時にあらず~

皆さんは恩返しってどういう風にしてますか?
なんて、まるで「家計簿ってどうつけてますか?」みたいな聞き方をしてしまったけど。
恩返しといえば、相撲用語が有名。お世話になった相撲部屋の親方や先輩に対して、白星を取ったり、横綱になったりすることを恩返しと呼ぶ。
私には、何人か先生と呼べる人たちがいて、その人たちのおかげで、例えば文章が書けるようになったとか、ギターが弾けるようになったとか、そんな感じ。
人間、あまりにもお世話になっていると、返報性の原理がパンパンになって、その人に何かお返しをしなければならないと言う気持ちが溢れてしまう。

返報性の原理
他人から何らかの施しを受けた場合に、お返しをしなければならないという感情を抱くが、こうした心理をいう。

Wikipedia

返報性の原理は、例えばスーパーの試食などのシーンでよく見られる。試食をしてしまった人は、お返しに何かしなければいけないという心理になり、商品を購入するというわけだ。よく分かってて、「買わなくちゃいけなくなるから食べない」という人もいる。

しかし、その人のおかげで文章が書けるようになったと思う人の本を、お礼として購入したり、その人のおかげでギターが弾けるようになったと思う人の CD を、お礼として買ったりするのは、ちょっと違うよね(笑)
書けるようになった文章、弾けるようになったギターを見せて、それで恩返しをしたい。恩返しの種類としては、相撲の恩返しにとても似ているかもしれない。

時にあらず

私も教える仕事をしている。子供たちにどのような人間になって欲しいかという観点から仕事をしているから、例えば、合格のお礼にお菓子をもらうのは、ちょっと気が違う気がする。けれどもこのタイミングで他に表現しようのないことなんだと思って、ありがたく受け取るようにしている。
しかし、教育の効果は、ずっとずっと後に出るもの。何年も経ってから、思い出したように「あの時、ゆか先生に教わったこと、役に立っています!」とメールを送って来る子がいる。これは、めちゃくちゃ嬉しい。
だから私もつい、そのノリで、報恩(ほうおん:恵に報いること)を、ご本人にしてしたくなってしまう。十分時間は経ったかと。でもまだまだ力の不足で、結果、かえって顔に泥を塗るようなことになってしてしまうことがほとんどだ。

これじゃあまるで恩返しの押し売りだ。試食品よりたちが悪い。むしろ、横綱クラスになって、自分からではなく、世の中から「これは恩返しだね」と言われる、それが正しい恩返しなのかもしれない。
タイミングが悪かっただけじゃないかと思う場合もある。いやいやいやいや、そんな言い訳を考えること自体、まだまだ未熟だってことだ。
そんな時、私は「時にあらず」という言葉を思い出す。まだ「その時ではない」からこそ、こんなことになってしまうのだと。
まだまだだ。全然まだまだなんだ。

春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声もたてず
時にあらずと 声もたてず

早春賦

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