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泣きたいときは泣こう

こんにちは。キャリアコンサルタントの岸本有加です。ご無沙汰してしまいました…。

今日は3月11日。あの日、あの震災の日から10年目。私、津波の映像を見ても泣けなかった…。10年前辺りから「泣く」ことができなかったのです。

でも今年は号泣しました、「お父さん…」と。

プライベートのことですが、父の命日は2011年3月2日。10年経過しました。父と私とはある時期から感情的な齟齬があり、特に私は表面上の付き合いしか最後はできなかった…。昔は仲の良い、そっくり父娘だったのですが。

父が亡くなったあと、私は泣けなかった。泣くふりはした…。でも、涙は全然出なかった。父亡き後の母との生活を考えるだけで恐ろしかったから。全てを父に任せて生活していた母をどうしたらよいのか、という不安と恐怖で。そして、父へのある種の憎しみで泣けなかった。悲しく、寂しかったのに。

そして3月11日

バタバタと各種手続きを行い、年度末も近いためにすぐに仕事に復帰。でも体調は悪くて、午後から半休で自宅で一人で過ごしていたあの時間。

大阪はひどい揺れではなかったものの、急いでテレビを見ていたら…。信じられないほどの津波が。

怖かった。遠くにいてもなお、怖かった。急いで一人暮らしの母の元に駆けつけ、二人でずっとテレビを見つめていた。「みんな、早く逃げて…」そう願いながら。でも、涙は出なかった。感情が麻痺してるような感じだった。

その後、日常生活に戻り、父が亡くなった喪失感を感じていても、あの震災で被災された方と勝手に比べて、泣いちゃだめだと感じてしまった。私なんかよりもっとつらい方がいっぱいいるのに、私の喪失感を無視してしまった。

その結果は現在も続く、うつと体調不良との長い闘い。

赦し

そして今年。認知症になった母が施設に入れ、新たな関係が始まって4か月。

私は、自分を赦し、父を赦せた。

亡くなる前、私だけを病室に呼び出したあの日、父は私との感情のしこりを清算したかったのだと感じた。もう、しゃべれなかったけれど、伝えたかったと思う。娘を大切に思っていたことを。

10年目の命日に私はそう確信したのだ。

泣けた

その後は、憑き物が落ちたかのように泣けて泣けて…。「お父さん~、寂しいよ~、怖いよ~」とことあるごとに泣けてきた。ほとんど子供のよう。

今、体調はかなり回復してきた。

10年間溜まりにたまった悲しい感情が吹き出たら、なんと母まで赦せるようになってきた。(母とはあまり合わない母娘だったなぁ)

泣きたいときは泣いた方がいい。誰と比較するとかではなく、自分の感情に忠実に泣く。

今日、私は、生きていることに感謝して、そして朝から泣いてきた。一日穏やかな日であることを祈りながら。








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