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俗っぽさのなかのうつくしさ、みたいなもの

自分をあらわした言葉に驚くことがある。
最近は、自分の悩みを打ち明けたら「それは表現者の悩みですね」と言われたとき。

いままで、"表現者"という言葉を数えきれないほど聞いてきたけれど、それが自分にも当てはめられることがあるのかーと不思議な気持ちになった。"表現者"という言葉で自分が想像するのはもっともっと崇高な、高みにある行為のような気がするからだ。それと比べると自分が抱えている悩みーひとと比べたり、無力感を感じたりするようなことは、"表現者"の抱く悩みとしてはいささか俗っぽいようにも思える。"表現者"という響きをまとうひとは、もっと脱人間していて、目標に向かってまっすぐびゅーんと弓を射っていると思うのはわたしだけだろうか。

そもそも何かを作っているときの自分は全然かっこよくない。夏は汗をかいて臭うし、作業服もうさぎちゃんとか描いてあるTシャツだし、部屋は紙と本が散乱している。我ながら「あー」と思うほどなので、ひとには絶対見せられないなあと思う。

暮らすとか生きるとかって、臭うし、汚れるし、雑然としているし、いつもなにか途中だし、自分の作るという行為も実際のところそんなもんだよなあと思う。一点の曇りもない高潔な姿を思わせる言葉ではなく、俗っぽく、汚いけれど何かどこかに希望があるような、地に足のついた言葉があるといいなあと思う。

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