「革命家になれ」といった恩師との出会い(12/100)
こんにちは、まえゆかです。
18日から車いすラグビーのワールドカップ@パリがスタートし、日本代表は2連勝と快勝。
昨日(18日)には初めてファン向けにパブリックビューイングを開催して、まさに今書いている追っかけ時代の経験が活きたなと…
そのことも書きたいなぁと思いつつ、流れを乱すと後から読みにくくなるかなと思うので、とりあえず時系列に沿って書き進めようと思います。
当日の様子をチラッと1枚掲載するとこんな雰囲気でした^^
改めて開催の経緯とかは書きますね!
前回と今回
さて、前回はダブルゆかとして車いすラグビーの追っかけしていた時代のことを書きました。
選手や競技の魅力を純粋に伝えられたらいいなと思っていた時期です。
この約1か月後、私はパラスポーツをフルタイムの仕事とする大きなキャリアチェンジをすることになります。
春頃からうすうすそんな話は出ていたものの、具体化したのがブログを立ち上げた2週間後くらい、その2週間後に社員になるような流れだったかなと…
急展開のあった頃のことを今回はふりかえりたいと思います。
恩師との出会い
ちょっとだけ話が変わりますが、私の大学院の恩師との出会いをお話させてください。
あれ、パラスポーツの話じゃないの? じゃあ今回はやめとくか・・・と思わずに、ちょっとだけお付き合いいただければ幸いです。
私は、2012年に立教大学大学院の教育学研究科の修士課程に入学します。
入学した当初、私は学部のゼミが教育社会学だったため、そのまま教育社会学のゼミに所属しました。
当時の私は、『障害者』という言葉の持つネガティブなイメージをなんとか変えたいと思っていました。
「障害者」って具体的に表現しようとすると、「足が動かない人」「目が見えない人」「耳が聞こえない人」のように【~~できない人】という否定形で表現する形になってしまいがちで、言葉そのものがネガティブな作用をもたらしていると感じていました。
無意識にネガティブな感情を想起させるから社会から差別がなくならないのではないか、だったらこの言葉自体を変えてしまえば、差別をなくせるのでは?? と考えていました。
障害者の社会参加を進めるためにも、まずは差別意識をなくさないといけないと考えていたので、どうしたらこの「障害者」というカテゴリー自体をポジティブなものに変えられるのか、社会学的な観点から研究しようと考えていました。
しかし、当時の指導教授とどうしてもそりが合わないというか、方針が合わず…悩みます。
私の将来を考えてくれた当時の指導教授
当時の指導教授は、障害者をテーマに論文を書くのではなく、まずは「いじめ」などをテーマにした論文で実績を作ることが先だと考えていました。
テーマに関心が凄くあるとかないとかは一旦おいておいて、戦略的にいじめをテーマに据えて研究を進め、空いた時間で障害者についてもやればいいというスタンスです。
学部上がりの院生と違って、私は社会人を辞めて大学院進学しているため、できるだけ早く実績を作り、仕事を得られるようにと考えてのご助言だったと思います。
教育学系または社会学系で研究職を得る場合、より社会のニーズのあるテーマを用いて評価をされた方がインパクトもあるという戦略的な考えだと思います。
でも、私は「研究者になること」を目的としてなくて、「障害者の社会参加を実現」するために研究をするというスタンスでいたため、研究職を得ることをゴールに据えることに違和感を覚えます。
研究者以外になるものないじゃんとは思っていたのですが、研究職になりたいわけではないという…
私はかなりのひねくれ者というか変わり者なので、自分の限られた時間で障害者のことではなく、いじめのことをテーマに研究することがとても煩わしかったのです。
内省の気質が強く、悩みだすと延々と考えてしまうタイプで、入学して半年で不眠症に陥ります。
今振り返れば、軽度の鬱状態だったと思います。
そんな時だったので、指導教授に直接悩みを言うことはできず、でも悩んでることだけは他の先生方の目にも明らかで、特別支援教育についての研究もされていた今の指導教授である河野先生のゼミでふと悩みを漏らしました。
「何も気にせず、うちにおいで。」
河野先生は、多くを語らず、シンプルにこう言いました。
「君のやりたいことができるのは、このゼミだろう。」
でも、セオリーとしてはNGなのです。
大学院の入試の時に、指導教授の名前を書いて、研究計画書も書いて入学しています。
原則的に、所属ゼミを変えることはNGです。
でも、明文化されているルールというわけではありません。
暗黙のルールという感じでしょうか。
退学になるわけでもない。
ゼミを移ろうかな…と考え始めます。
とにかく、行き詰っていたので変化が欲しかったという逃げの考えもあったと思います。
でも、その後、私の中でこのゼミ変更は逃げではなく、”前進”だと思うようになります。
「革命家になれ」
面倒なことはすべて、先生が引き受けてくれました。
実際、ゼミの先輩などから個別に呼び出されたりもしましたし、当時の指導教授、他の教授陣が何かを言ったのかもしれませんが、直接的に私の耳に入ってくることはなく私は新しいゼミの所属となります。
(明確な手続きと言えば、修士論文の単位を河野先生のゼミで選択しただけです)
その上で、河野先生は改めて私に話をしてくれました。
そりゃそうだ、就職に有利になる手段を自ら切ったのだから。
そこに異論はまったくない。
むしろ、やりたいことをやらせてもらえることが嬉しい。
先生は続けます。
ここで学ぶことを選んだことは、間違いではないと確信した瞬間でした。
「革命家」という言葉そのものは、とても強いインパクトがあります。
自分から「革命家になります!」と言っていたら、ちょっと痛い人に見えるかもしれません。笑
でも、「社会を変える革命家になれ」という志は、まさに私の目指す方向性だと思ったのです。
世間一般の考える大きな「社会」を変える力は、私にはないかもしれません。
一生かけても実現できないかもしれません。
でも、目の前にもし不幸があるならば、それを幸福に変えられるような努力はしたい。
全員は幸せにできなくても、自分の手の届く範囲の人たちを幸せにしたい。
元々は、自分の教え子たちの未来を守りたかったから大学院に進学したのであって、世の中すべての障害のある方々の人生を背負ったつもりもありません。
顔の見える、名前のわかる、彼らの人生を豊かにするために、できることをやりたい。
それを「革命家」という言葉で表現してくださったことで、自分の目指すべき方向性がクリアになったのです。
その後は、不眠症と付き合いながらも、前向きな姿勢で研究に向き合えるようになりました。
フルタイムの仕事へ
その後、2015年5月に日本財団パラリンピックサポートセンターが立ち上がります。
立ち上げ当初は確か3人とか4人とかのごく少人数。
日本財団や関連団体の職員の方々がこちらの組織の初期メンバーになっていましたが、いざ事業を進めて段階となり、パラスポーツを知っている人材が必要ということで声がかかったのが私でした。
今回も単純にラッキーだっただけなのですが…
決して私が優秀だったとかではなく、他の研究員の皆様は研究の世界で超優秀でして、ポスドクとかになれちゃう方々である一方、私はふらふらしている大学院生で、なんなら勝手にパラスポーツオタクになっておりまして…
事業を推進するメンバーとしてちょうど良い存在だったのではないかなと思います。ww
6月に入ってお話をいただき、他のアルバイト先などを月末で退職した上で、7月1日付で職員となりました。
運もここまで良いとちょっと気持ち悪いですよね。笑
変わらぬ思いを抱いて
フルタイムの職員となると、ゼミにも出られなくなります。
当時は既に博士課程に進学していましたが、研究は一旦ストップすることとなります。
でも、迷いはありませんでした。
指導教授も
と気持ちよく送り出してくださいました。
「革命家になれ」
この言葉があったから、私は次のステップに進むことを一ミリも迷いませんでした。
むしろ、革命家となるのに適したフィールドを得た気持ちでいました。
フルタイムの職員になったとはいえゼミを辞めたわけではなく、気持ちは常に河野ゼミのゼミ生。
職員として仕事を進める時にも、常に私の胸にはこの「革命家になれ」という言葉があります。
「この仕事は、社会を変えられるのか?」
「社会を変えるには、どうしたらいいのか?」
この問いを持ち続けたことで、ただのブームで終わってしまう事業ではなく、根付く事業を作ろうという意識を持つことができました。
私は2020年で組織を去りますが、現在も継続する事業を生み出すことができたのは、ひとえにこの言葉があったからだと思っています。
さて、次回は。
ちょっと偉そうなことは話したくないのですが、「革命家になれ」という思いを抱きつつ、そもそも私はどんな革命を起こしたいと思っていたのかについて書けたらなと思っています。
まだまだ1割しかかけてないですが、既に3年目のシーズンに入っているので、100本目までネタが持つかはわかりませんが!!
とりあえずあるものを書き続けていこうと思っていますので、引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。
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