結局は全部、自分のせいなのだ。
リフレッシュをしてきたけれど、気持ちを切り替えたというよりも、思考を一時停止した、という感じに近いようで。
東京に戻ってきたらまた、気分はどんどんと落ちていく。
もう泥沼状態で思考を整理するために、noteを書いている。
昨日も、今日の昼間も、確実に元気だったし、確実にリフレッシュした気分だったのだけど、今は、改めて自分のいたらなさに目が向いて、いろんな事が嫌だ。すべてのことから一旦リタイアしたい。
ここ数日、仕事に行くのが辛い。とにかく辛い。
明日は、パラリンピック開会式の1年前。
同僚はみんな忙しいし、仕事中に「何かやることありますか?」と声をかけるのも憚られるくらい、忙しそうだ。
「忙しそうだ」と言ってしまうくらい、もうみんなが何をやっているのかわからない。
何のために、月曜日から金曜日まで、9時から17時まで、働いているのだろう。
みんなとランチしていても、「毎日終電だよ~」「終電で帰れてるなら良かった!タクシー帰りかと心配してたよ~」と話す同僚の輪には確実に入れない 自分がいる。
同じテーブルにつきながら、如何に存在を消すかを必死に考えて、相づちも打たず、ただ黙々と目の前の食物を口に入れる時間を迎えるのが怖くて、午前中に出勤できない日が増えた。
仕事で外部の人と話せば、100%の確率で「一番忙しい時期ですよね!!」と言われる。
そんな私は今までで一番忙しくない。
ただ、やることもなく、席にいるだけの時間も多い。
その時間が、たまらなく苦痛。
仕事は好きだったのだ。でも、好きな仕事が今は手元にない。
こんなに辛いのなら、休めばいいんだ。
そう思いながら、できない自分がいる。
みんなが忙しい中で、この超繁忙期に、一線から退きたくないという、自分のプライドでしかない。
もはや一線からも二線からも後退し、私は補欠予備軍でもなく、アルプススタンドでメガホン抱えて応援する保護者レベルの立ち位置なのかもしれない。
ただ、その現実を受け止めたくない自分がいる。
仕事を休むことを決めた友人から、「休んだ方がいい」と言われて、頭では確かにそうだ、と思った。
休む決断のできた彼女の職場を心底うらやましいと思ったし、休む決断のできた彼女のことも心から尊敬する。
でも、残念ながら私にはその決断をする勇気はないし、安心して休んでいいと言うだけの余裕も職場にもないと思っている。
このまま休んだら私の居場所は確実になくなるだろう、と思っている。
職場のことを心から信頼できない、自分のせいなんだと思う。
でも、休みたいと思いながら踏ん切れない自分がいる。
休めないなら、仕事を頑張るのも手段かもしれない。
でも、やりきれる自信がなくて、「もっとやれます」と言う自信もない。
ギリギリまで頑張って、助けてといった声も届かなかった職場のことを、やっぱり私は心の底からは信頼できていない。
困ったら助けてくれる、なんて思えない。
それでも仕事に向かうのは、ただパラスポーツが好きなのだ。
ただパラアスリートを応援したいのだ。
パラリンピックを一つのきっかけに、障がいに対する見方が変わったらいいなと思って働いている。
もう私のライフワークだし、アイデンティティの一つでもあるんだと思う。
関わり方にはいろんな形があると周りは言うけれど、パラスポーツが好きで、パラアスリートを応援したい私にとって、ベストな職場はここであるのは誰よりも私が知っている。
8人からスタートして、1人目の直接雇用スタッフとして、4年間走り抜けた。
今ではスタッフ40人。
どのプロジェクトも立ち上げも過渡期も見てきたからこそ、ここがフィールドだと思っている。
誰よりも、何よりも、私がここを去りたくないのだ。
単純に自分の力不足で、自分の体調不良でここから逃げ出したと思ったら 、後悔してもしきれないのだ。
だから必死にしがみついている。
休むことができないのも、頑張ることができないのも、結局は自分の問題なのだ。
だからこそ、苦しいと思っていた。
苦しい、苦しいとただひたすらに、思っていた。
2日前、ゆうすけ先生のツイートにこんなことが書いてあった。
頑張りすぎて少しの間だけ仕事をお休みすることになった友人が、そのことを部署の後輩メンバーたちに伝えたときに
— Dr.ゆうすけ (@usksuzuki) August 21, 2019
「浮き沈みがあるとおもうんですけど、ちょっと浮いてきたからって絶対に仕事しないでくださいね。最低1ヶ月くらいはしっかり休んでください!」
と言われたそうな。
素敵な職場。
正直、心の底からは、羨ましいなと思った。
素敵な職場なんだな、と思った。
ただ、それだけのことを思ったはずなのに、その次のツイートを見てから、ひたすらに絶望している。
その友人が、普段どれほど誠実に部署のメンバーと接しているかってのがうかがい知れちゃう話でもあるよねえ。
— Dr.ゆうすけ (@usksuzuki) August 21, 2019
「人間関係は鏡である」とはよくいったもんだね。
— Dr.ゆうすけ (@usksuzuki) August 21, 2019
職場に居づらい、苦しいと思っていたけれど、全部自分のせいなのだな、と思った。絶望した。
安心して休んでいいと言われずに、働き続けているのは、私が誠実に働いていなかったからなのか。私の誠実性の問題だったのか。
今、確実にこじらせてしまっている職場の人間関係と居場所を、苦しいと思っていたけれど、結局は「人間関係は鏡だ」ということ。
人間関係がうまくいってないのは私の問題なんだ。
それなりに頑張ってきた4年間も、少しだけ残っていたプライドも自信も今はすべてなくなって、どうやって月曜日から働くのが正解なのか、わからない自分がいる。
自分なりに示してきた誠実性は、すべて間違っていたのだ。
でも、正解の振る舞いが、正解の行動が、わからない。
私はどうやったら、愛される人間になれるのだろう。
ただただ、自分の4年間を猛省し、後悔し、月曜日からどうやったら誠実にふるまうことができるのか、考えるだけでどんどん時間が過ぎていく。
もうちょっと頑張ることが誠実性なのかもしれない。
あと1年くらいは大丈夫かもしれない。
とりあえず、月曜日にフルパワーで働いてみることから、再スタートを切ろうかな。
「休んだ方がいい」の逆を行っていると思うけれど、そもそも100年生きたいとも思わないし、なんなら32年間ずっとどこかでぱっと消えてしまいたいと思っている私は、生きながらえる価値を一ミリも感じていない。
命より大事な仕事はない、と言われたけれど、その命にはあまり価値を見いだせていない。
仕事があって、初めて今よりちょっと先の未来を楽しみに思った。
応援しているパラアスリートが満員の会場の中で金メダルを掲げる姿を見ることを胸に、4年間働いてきた。
その未来を描ききれなくなった今、今を生きる価値が私にはあまり見いだせない。
大好きな仕事に対して誠実性を示すこともできない私に、生きる価値なんてあるんだろうか。
大好きな人たちに、大好きだと伝えることも、大好きだといわれることもない私は、このまま消えてしまってもいいのではないかと思う。
あぁ、リフレッシュをしてきたはずなのに。
どうしてここまで絶望するんだろう。
それもこれも、すべては自分のせいなのだ。
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