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安楽死と家族と別れと

2019年、111冊目。
『安楽死を遂げた日本人』 という本を読み終えた。

先日、NHKで安楽死を遂げた女性のドキュメンタリーが放送された。私はその放送は見れなかったけれど、facebookとWeb記事でそれを見て、無性に気になって読んだ本。

自分の知人が立て続けに癌が発覚し大きな手術を受けたこと、自分が病気になって死というものをぼんやりと意識してしまうようになったこと、7月になるとやまゆり事件を思い出して、奪われる命というものにどうしても意識が行ってしまうこと。

いろんなことが複合的に重なって、自ら死を選ぶ安楽死というものが、どういった背景で行われているのかすごく気になっていたんだと思う。
って後付けだけど。自分でもなんでこんなに気になったのか、読み終えてもちょっと不思議だけれど、読み終えた今、家族とか死とかをぐっと考えた。

安楽死。難病等で回復を見込めない末期の患者が、苦痛を感じずに死に至る至る行為で、日本では認められていない。自殺ほう助罪、または殺人罪になるらしい。

この本では、ある女性がスイスのライフサークルという団体で姉らに見守られて死を迎えるまでの本人や家族、周囲の人の揺らぎ、安楽死を望む他の患者の想いなどが宮下氏によって丁寧に綴られている。

ちょっと余談だけど、最近よくSNSで幡野広志氏の名前を見る。コルクラボのメンバーでも本を勧めている人がいた。本は読んだことなかったけれど、彼は安楽死推進派らしい。この本で初めて知った。

自分だったら安楽死を望むのだろうか…?
というのは健康な身体を持っている状態ではきっと想像できない。

じゃあ、自分が見守る家族だったらどうだろうか。

それなら想像はできるかもしれないけれど、もしも家族が痛みを伴う状態で最期を迎えるのならば、安らかに旅立ってほしいと思う。けれど、一秒でも長く側にいたいとも思うだろう。

私の父方の祖母は、最期の1週間をホスピスで過ごした。
クリスマスの日、静岡に住む祖母が入院したと連絡を受け、その1か月後くらいからせん妄が始まり、ホスピスに移った。
とても素敵なホスピスで、当時私たちの横須賀からは3時間以上かかるところだったけれど、社会人1年目の私も2,3回足を運んだ。危篤の報せを受けた時は仕事中で、急いで向かった新幹線の中で息を引き取ったと電話で聞いた。

父方の祖父は、祖母が亡くなった1か月後、一人暮らしはできないからと老人ホームに半ば無理やり入れた。祖母の死で憔悴している以外は健康体だったけれど、入所して3週間後に脳梗塞で倒れた。
あのまま一人暮らしをしていたら孤独死をしていたかもしれないと思うと、思い切ってホームに入れて良かったと心の底から思った。
でも、祖父には重度の麻痺が残り、歩けない、話せない、嚥下もできない状態で寝たきりになり、会うたびに「もういい」とだけ吐き出すように言う5年を過ごした。
最期の5年間は老人ホームと病院の行き来だったけれど、私たち家族の家から30分くらいのところに移ったので、今までになく家族と過ごす時間が多かったと思う。

最期の1週間ホスピスで過ごした祖母と、5年間寝たきりで過ごした祖父のどちらが幸せだったのかは、私にはわからないし、そもそも比較はできないものだと思う。

ただ1つの言えるのは、どちらの死にも寂しさは残ること。
そして、どちらの死も最期を覚悟した私たち家族は、できることをやり尽くしたと思っていること。

祖母の最期に立ち会えなかったことに後悔は残るものの、昏睡状態になる前に会話ができたことで私はたぶん満足できていた。
結局、婚約解消しちゃったけれど、祖母に「結婚することになったよ」と伝えて「幸せになるんだよ」言ってもらえたことはよかったと思う。そして、最期に祖母が苦しまなかったこともよかったと思う。
私と祖母の思い出に苦しみがないから、思い出して感じるのは寂しさだけ。

祖父の最期は、病院で1か月くらいかけて徐々に徐々に天国に近づいて行ったと思う。元々、言葉での会話のできない状態で5年が経っていたからこそ、苦しまないでいてくれたらいいなと思っていた。
大きく息を吸って、ゆっくりと止まっていく心臓を両親と私で見送った。
思い出すことで感じるのは、寂しさだけ。

安楽死を望む人は、死ぬ権利が患者にあるという。それもそうなのかもしれない。
でも私は、死というものは残された人にとっても意味のあるものなんじゃないかと思う。

安楽死があるべきともあるべきじゃないとも言うほど詳しくないけれど、本人と家族が最期をどう過ごしたいのか、どうやってその死を迎えるのか、選択できるのであれば、それはいいことのかもしれない思う。


母方の祖父は、当時7歳の私の誕生日を祝った夜に、喘息の発作で急死した。その年から、私は家族に誕生日を祝われなくなった。その代わりに毎年お墓参りに行く。入院しがちだった兄がいたから、私はずっと母方の祖父母に甘やかされていた。大好きだったおじいちゃんに、最後に見られたテストが40点だったことが、今でも悔しい。もう、25年も前のことなのに、今でも鮮明に数時間前までこたつに座って話していた祖父が無表情で手術台に横たわっている姿を思い出す。

母方の祖母は、ある寒い日に突然いなくなった。見つかった時には息を引き取っていた。「早くおじいちゃんのところに行きたい」と言い続けた23年間。本当に健康で元気で、誰もが100歳まで生きると思っていたからこそ、忙しさを理由に全然会っていなかった。4人の祖父母の中で誰よりも長く一緒に居たのに、思い出すと涙が止まらなくなるのは、多分、何も感謝を伝えられていないからだと思う。

母方の祖父母とは、突然の別れで、何も覚悟ができていなかった。
祖父母のことを思い出すたびに、こうしていれば…ああしていれば…とできなかったことが頭に思い浮かぶ。
どちらも苦しんではいなかったと思うけれど、思い出す寂しさがちょっと違う。


安楽死の是非なんて、私にはわからない。ただ、死を覚悟して、家族として本人に別れを告げられるのは、幸せなことなんじゃないかと思う。


死の淵に立った時、安らかに旅立つことが選択肢としてあるのであれば、選びたい人が選べばいいのではないかなと思う。

この本を読み終えて最初に浮かんだ感情が、安楽死を遂げた彼女とその家族をうらやましいなという気持ち。

自分が死にたいと思っているのかなと、ちょっと自分が怖くなった気持ちもあったけれど、紐解いていくと、家族として別れの挨拶ができたということに対して抱いた感情なのだと気づいた。

人の命は有限で。自分で「終わり」と決められる命ばかりではない。ありきたりな言葉が締めくくりになるのは腑に落ちないのだけれど、いつまでもあるとは言い切れない命だからこそ、一日一日に後悔しないように人と向き合わなければいけないんだと思った。


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