NFTを続けてはじめて、自分が生涯画家であれる自信が持てた話
こんにちは!神戸ポップです。
いま、「仮想通貨の冬」「NFTの冬」と言われていますね。
ですが私自身、あまりその影響は受けていません。
なぜなら私には、冬はいつでもやってくるし、経験したのは仮想通貨の好景気ではなくバブルだと思っているからです。
上を見ればキリがないですし、長く売れない時期もありましたが、振り返れば1ヶ月に何点も売れたりしたこともあるし、まあまあNFTをやっている感じはしてきました。
今一枚絵を描いているのは、表現に対する欲がどんどん出てきたからです。
PFPアイコンからスタートしましたが、キャンバスが足りないから大きくしただけ。
あとは作品に奥行きを持たせたかったというのもあります。
「作品にもっとストーリーを持たせたい。
もっと複雑な設定を組み込みたい」
そうして一枚絵、そのなかでもシュールな絵を描くようになりました。
私は普段からお買い物が好きで、ときには爆買いする傾向もあり、つい、イカンイカンと思っています。
でもリアルと同じで、NFTも買い漁ってしまうんです。
なので、しょっちゅう財布がスッカラカンになっちゃうんですね。
ただ、国内外の作品を買って交流したおかげで、自分のことを主観的にも客観的にも見れるようになれたんです。
「どうして私は(日本やアジア国々の)、みんなと違う絵を描いてしまうんだろう。
漫画やアニメを見て絵を描いてきた(マンガは描けない)のに、主張が全く違う方向だ」
アイデンティティを見失っていました。
今だから安堵していますが、これは逆を言えば、ちゃんと美術史の一つに当てはまっていたことの現れだったんですね。
端的に言えば、「令和のシュルレアリスト」といったところでしょうか。
1900年前後のシュルレアリズム(ピカソ、ダリ、カーロほか)が約120年後の日本で再興している。
私が、サブカルテイストのシュールな絵をNFTで売っている。
「わたし、無意識にガチ美術やってるな」と思ったんです。
その気づきがきっかけで、いつかNFTから離れることがあっても、フィジカルでやっていける気がしました。
NFTをやり続けているうちに、アートの真髄を(ほんの一部ですが)自分の手で握ったからです。
もしアナログでやらざるを得ないとなったら、おそらく真っ先に油彩を習いに行って、尊敬できる先生を見つけていくと思います。
NFTはそれ自体がアートを売買するプラットフォームであって、NFT界で売れなければ画家人生終わり、というわけではないでしょう。
もちろん今はNFTをやり続けるのがベターだと思っているので、多少辛いことがあってもやり続けるつもりです。
幸い、NFTアートはSNSと相性がいいので、テキストでも画像でも動画でも、なんでもすぐアップして宣伝ができることにはメリットしかない。
どのみち、アートはガンガンにマーケティングをしないといけない…というのは、現代アーティストの村上隆さんが経験を元にそう言っていました。(後述の本)
それならば取り組みやすいところからやってみればいいんじゃない?と、思っています。
NFTやってきたことで、こんなにもいい発見があったなんて。
恐縮ですが、私はそこら辺にある田んぼの用水路の水脈のごとく、美術史の脈絡の一部に生きて流れて、死んでいけたら本望だなと思っています。
おわり
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