2つの大丈夫
フリーター時代、3年働いたバイト先を辞める時、ほぼ毎日配達先で顔を合わせていたおばちゃんにお別れの挨拶をした。
おばちゃんは「あなたなら大丈夫よ」と言ってくれた。
そのおばちゃんが何を思って「大丈夫」と言ってくれたのかは全くよく分からない。毎日配達先で会うと言っても、今日は暑いだの寒いだのといった世間話ぐらいしかしていなかったと思う。
お互いの名前も知らない。
配達伝票には私のシャチハタのはんこが押してあったけど、おばちゃんはそれを「あずま」と読むのか「ひがし」と読むのかすら知らなかったと思う。
それでもそのおばちゃんが優しい目で言ってくれた「あなたなら大丈夫」という言葉を、時々思い出した。
そのバイト先を辞めた後、あまり大丈夫じゃないことが多かったので、思い出すたびに「おばちゃん、ごめん。私大丈夫じゃないかも」と心の中で謝っていた。
それから7年。気がついたらおばちゃんと顔を合わせていた道玄坂のビルのほど近くで、私はちゃんとした職にありついた。
「おばちゃん、わたし、大丈夫だったみたいです」
今はおばちゃんに、心の中でそう答えている。
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ひょんなことから、憧れの人にパリで声楽のレッスンをしてもらえることになった。
わざわざパリまでやってきたというのに、日本を出発する前から自分の歌についてとても落ち込んでおり、「素晴らしい演奏をしてきた憧れの人に、私みたいなのがレッスンをしてもらえることが本当に申し訳ない」と思っていた。
レッスン中も「もっと色々と言いたいことはあるけど、きっと我慢しているな」と感じて、申し訳ない気持ちで歌っていた。「お耳汚し」という言葉がよぎる。
レッスンが終わる時間がきて、最後に私の課題について、必要な勉強についてアドバイスをもらった。そして最後に「でもあなたならきっと大丈夫」と言ってくれた。
優しい人柄から、おそらくはるばる日本からきた私を勇気付けようと思って出た、ちょっと大げさな言葉だったかもしれない。
でも私には、「あなたみたいに歌いたいです」のロールモデルのような人から「大丈夫」だなんて言ってもらえるとは思わず、とてもびっくりした。
配達先のおばちゃんのそれとは違って、ちゃんと「大丈夫」な理由をあげてくれたが、それも信じられなかった。
同世代の子達はキャリアを築き出したのに、私は全く活躍の場もないし、いつまでもこれといったレパートリーもない。誰からも必要とされない自分の演奏に意味や価値なんてないんじゃないかと思う。
そんな時、「あなたなら大丈夫」が頭をよぎる。
もしかしたら大丈夫かもしれない。大丈夫だといいな、と思いながら今日も練習をする。
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