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2024年元旦、ものごとには「限り」があるから

2024年の元旦、吉日が重なっているそうで、久しぶりに何か書くにはいいきっかけになるなと思っていました。

今日は日帰りで、静岡にある夫の実家に帰省。
行きの新幹線では、快晴の中富士山の美しい姿を見ることができました。
市内に住む親戚も集まり、賑やかに食事を楽しみ、そこにはいたって平和なお正月の光景が。

しばらく滞在する夫と息子に駅まで車で送ってもらい、早めに着いた駅のカフェに腰を落ち着けたところでSNSに「地震」の文字が並び出します。

石川県で発生した震度7の地震。

少なくとも私やまわりは揺れを感じていない。でも、やり取りした東京にいる人たちは、「結構揺れた」という。

新幹線の待合室のテレビからは、強い避難の呼びかけが

津波注意報は、すぐに大津波警報へ。
タイムラインには、さまざまな被害の様子が流れ出します。

東海道新幹線も、安全のため送電を停止したようで、駅では運転見合わせのアナウンスが繰り返されるように。

ああ、この感じ。
2011年の東日本大震災がどうしても思い出されます。

思えばここ何年か、大きなうねりを前にしてなすすべもないような、立ち尽くすような感覚を何度も味わってきた気がします。
東日本大震災はもちろん、Covid-19の流行のときも、ロシアとウクライナの戦争やイスラエルとパレスチナの争いが起きたときも。

ついさっきまでの日常が、一気に非日常になる感覚。
何もできないことを、突きつけられる瞬間。
それは、お正月だろうとなんだろうと、関係ない。

災害や有事は、忘れた頃、慣れた頃に、なんてとても言えないくらい頻繁で、忘れる暇もないくらい。
こういう時代に生きているんだなあ。

2023年はこういう年でした。
2024年はこんな年にしたい。
何ごともなければ、私はそんなことをここに記していたのかな。

すぐさま安全確認をして、運転再開。心からすごいと思う

今も私はまったくもって無事で、20分程度の遅れで新幹線を動かしてくださる方々のおかげで、東京に向かっています。
徐々に暗くなっていく中、現地の方々の安全を祈ることしかできません。

きっと、この一年もいろんなことが起こる。
私にも世界にも。
やりたいことがあってもできないかもしれない。
会いたい人に会えなくなるかもしれない。

そうであろうとなかろうと、やっぱり私は変わらずに、せめて自分と自分の半径数メートルがちょっとでも明るくあるように生きていくだけ。

ただ、もっともっと自分の心が感じること、願うことに敏感でいようと思います。自分が思っているよりもずっっとずっと、色々なことには「限り」があると感じたから。

現地のみなさま、またこの地震に際してさまざまに動かれるみなさまの無事と安全を願って。

おみくじを結ぶ息子

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Yuka Shibayama
会社を経営したり、書いたり、秘書をしたりしているワーママです。

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