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書き続けたら、こんな良いことがある

日々、ばったばったとのたうちまわりながら書いています。
どうして私、書いているのだろう。なんのために私、書くのだろう。
「そもそも」を考えることは大切だから向き合わねば、なんていうのはもはやそれ自体が現実逃避になりつつあります。

調べてみたら、1月19日から毎日書くようになったみたいです。
度々ブログなりnoteなりの毎日更新を始めるので、もはや何度目だろう。2年書き続けたこともあるし、1ヵ月と区切ってしたこともあります。

もう何度目かだから、流石にわかるのです。
決めてしまえば、私は毎日でも書くことができる。ただ、せっかく習慣になっても些細なことで辞めてしまう。
例えば海外に旅に出て、電波状況がよくなかったりスケジュール上、時間が取れなくなったり。
まぁ言い訳です。

書き続けたらこんなに良いことがある、ということについてもとてもよく知っています。
私の書くものなんて、読まれる量はたかが知れています。日々思うことを書くのみだし、目新しい情報があるわけでもないし。

それなのに、リアルで会った人に「note読んでいます」と言われることがあります。時には、お仕事関係の人にまで言われることも。
ほぼ100%好意的に捉えてくださっているし、なんなら私のことを良く知ってくれているので、色々楽です。

タイムラインで、フォローし合っているわけでもない方が書いたものをシェアしてくださることもあります。
どのようにしてそこに届いたのだろうと思うと、人が無意識につながりあって生きている奇跡に感動するし、心からの感謝が沸き起こって幸せな気持ちになります。

ほんの時々起こるこういった出来事に、十分に書くことの意味を感じていましたが、それらがもっと可視化されたのは経営する会社で小さなコミュニティを開いた時です。

noteのサークル機能を使って開いたコミュニティでは、結局交流しやすいからFacebookグループでやり取りをしています。
その自己紹介で「由香さんのnoteをずっと読んでました」と書いてくださる方が何名かいらしたんです。

もうね、何が何だかですよ。でも、読んでいてくれて、集まる場所を作った時にアクションをしてくださったんですよ。
こんなことが人生にあるのかと。

プロの書き手でもない私です。これからも書くことは自己満足でしかありません。
でも、私が書かなかったら、ここにいて、考えて言葉にすることは誰も書き残してはくれません。
いないと同じとは思わないけれど、人と出会って行きたかったら、機会を作り出して行きたかったら、やっぱり言葉にしていかないと誰にも届かないのです。

多くの場合、「続ける」ことが難しいと思うけれど、もし同じように考える方がいらっしゃったら、一緒に書きませんか。
ともに頑張れる仲間がいるって、一人でやるのとずいぶん違うと思うから。

さlあ、今日も書いた。明日も、書く。


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Yuka Shibayama
会社を経営したり、オンラインサロンを運営したり、秘書をしたりしているワーママです。

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