見出し画像

マーベルドラマ「ムーンナイト」で描かれているのは村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と同じである

「アベンジャーズ」「スパイダーマン」「シビルウォー」など熱狂的なファンの多いマーベル作品。筆者も全マーベル映画作品、ドラマ作品を追っているひとりである。
最近ファンの間で特に話題になったのが、2022年4月~5月にかけて動画配信サービス「ディズニープラス」にて配信されたドラマ「ムーンナイト」。これまでのようにわかりやすいマーベル作品と異なり、物語の中盤でストーリーのルールを覆すような場面が描かれるためついていけなくなる視聴者が続出。ラストまで見ても明確に解釈が提示されるわけではないため、ファンからは「何が起こったのか意味がわからない」と混乱の声が多数。また、評価が大きく割れたことも特徴で、特に「中盤までが楽しかった」派と、「中盤以降がサイコー」派に二極化され、物議をかもす問題作となっている。
ちなみに筆者は、正直中盤まで面白くなかったが、中盤であることに気がついてから大変興味深く見ることができた。本稿のタイトルにもあるように、村上春樹の小説との関連である。
※ちなみに、これから語ることはすべて筆者の妄想・こじつけであり、盛大な勘違いである可能性が高い。

村上春樹『世界の終り~』で描かれている精神世界


前提として、村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で描かれているのは、主人公の内面世界・精神世界と考える。社会の持つ異常性が、主人公が生きるふたつの世界を通して逆説的に提示されている。ラストで主人公が「世界の終り」の街にとどまることを決断したのは、村上春樹が「外(社会)の異常性」に意義を唱え、個人の精神世界を味方していることを表していると考える。

■類似点1 三人の「自分」

ロンドンで暮らす「ムーンナイト」の主人公は、エジプト神話や歴史オタクであり、国立博物館に勤務する。睡眠障害に悩まされながらも平穏な日常を送っていたが、ある日、鏡にうつる「もうひとりの自分」が語りかけてくることから時空間の歪みが生じ、奇妙な出来事が起こり出す。
鏡にうつる「もうひとりの自分」が語りかけてきたり、幻聴が聞こえるというのは解離性障害の初期の典型的な症状である。主人公スティーブンは、自分が知らない場所で目覚める夢遊病者だと思っているが、実は解離性同一性障害(多重人格)であり、主人格が寝ている間にもうひとりの自分であるマークが暗躍しているのである。さらに中盤以降、第三の人格の存在も明らかになる。
三人の主体と2つの世界。これは村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と同じ構造である。小説『世界の終り~』も、「ハードボイルド・ワンダーランド」の「私」と、「世界の終り」の「僕」、「僕」の「影」の3人が登場し、三者は協力してもとの世界に戻ろうと試みる。
「意識/前意識/無意識」、あるいはフロイトの「自我/超自我/イド」といった概念を用いて三人の主体を解釈できることが、「ムーンナイト」と春樹作品の類似点である。
ちなみに、「ムーンナイト」の主人公は日常的に母親と電話をしているが、後にこれは主人公の妄想であり、母親はすでに亡くなっていることが明かされる。母親の批判的な態度による母子間の関係の歪みは、解離性障害の発生要因になると指摘されている。
 また、主人公が専門家顔負けの歴史知識を有しており、エジプト神話に熱中していることも、自閉症的傾向を思わせる。

■類似点2 特殊な世界体験

「ムーンナイト」の序盤では、2つの世界が同時進行する。ひとつはロンドンの国立博物館で働く現実、もうひとつは「女神アメミット」の杖を持ったカルト集団に追いかけ回される世界である。
主人公はある日目が覚めると突然、異国でおかしなカルト集団に追いかけ回される。主人公は、なぜ自分がカルト集団にとって重要なアイテム「スカラベ」を持っていて追われることになったのか、理由がわからない。はじめは敵の言うことを聞くことで危機から脱出しようと試みるが、途中から自ら敵に対立し、戦いに参戦するようになる。
周囲の世界が劇的に変化し、なにか大変なことが起ころうとしているといった内容の妄想。これは精神の病に見られる症状のひとつである。自己が希薄になり、世界と一体化している状態ともいえる。「もうひとりの自分」の登場によって「あちら側の世界」と出会い、そして現実に戻ろうとする。これは、村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と同じ構図である。
「世界の終り」の「街」は囲いによって完全に外部世界から切り離されているが、これは箱庭療法における囲いを彷彿とさせる。「ムーンナイト」の主人公スティーブンが住んでいる部屋や、中盤以降の精神病院は、閉ざされた治療空間のなかでひとり苦闘していることを表しているのかもしれない。

■類似点3 敵対する精神科医(ただし、悪人には描かれない)

ムーンナイトの序盤では、カルト教団の教祖アーサー・ハロウとの対立が描かれるが、後に彼は、主人公の精神病院の主治医であるとはっきり明かされる。
アーサー・ハロウは特殊な杖で信者に審判を下し、審判の結果「悪」とみなされた信者はその場で命を落とす。これは、脳外科手術によって精神障害の治療を行なうロボトミーを彷彿とさせる。ロボトミーとは、脳の前頭前野の神経を切断することで精神疾患を治療する手術で、1940年代から20年以上にわたってアメリカやイギリス、日本でも行われていた。ロボトミーによる症状の緩和は、患者の人格と知性を犠牲にすることで達成された。ロボトミー後は自発性、外界への反応性、自己認識、自律性が損なわれ、また何人かは手術によって死亡し、何人かは後に自殺した。
「ハードボイルド・ワンダーランド」に登場する「博士」もおそらく精神科医のことであり、博士による脳の手術は、精神病における脳外科手術を喚起させる。ハードボイルド・ワンダーランドでは、すでに脳の手術過程で25人の計算士が死んでおり、主人公を含めれば全員失敗ということになる。
ちなみに作中で博士は悪人として描かれておらず、むしろ魅力的なキャラクターとして人気だが、「ムーンナイト」でイーサン・ホークが演じるアーサー・ハロウも、完全な悪人には描かれない。なぜ、完全な悪人として描いていないのか、どういった作者の意図が込められているのかについては今後考えたいが、「精神科医キャラが魅力的」という点は類似している。

■類似点4 成功しない治療(精神病の不可逆性)

精神の病の治療を描いている「ムーンナイト」だが、ラストのあとのポストクレジットでは第三の人格が主人格となり、主人公に寄り添う伴走者的な立場のコンスは、主人公のことを「あいつは想像以上に病んでいる」と言い放つ。3つの人格は簡単に統合しないのである。
「ハードボイルド・ワンダーランド」では地下を旅して博士のもとへたどり着くが、脳手術によって意識と無意識をつなぐ切り替え装置が故障し、現実世界に二度と出られないことが告げられる。どうすることもできず、最終的に潜在意識の「世界の終り」の世界に吸収される。
「世界の終り~」の街は、誰ひとり脱出に成功したことはない。「僕」と「影」は「街」からの脱出を計画するが、結局僕は街に残ることを決心する。3つの自己が統一されることはなく、癒やしは訪れない。
 これは、冒頭でも述べたように村上春樹が「外の世界(社会側)」に異常性を認め、「失ったものは取り返しがつかない」という喪失の不可逆性を主張し、損なわれた精神世界に意義を認めていることの表れである、と考える。過去に起きたことはどうすることもできない、癒やしなど訪れない、と認めることで、逆説的にいまを生きる希望を見出す、という春樹文学の真髄が表現されている作品といえる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?