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余談:スポーツ観戦として読む「テニスの王子様」

(越前シリーズの途中なのですが遅筆すぎて話題が機を逃しそうなので、すでに周回遅れになりかけた余談を先に)

先日のWBCで日本代表が奪い獲った「世界」。これは新テニの日本代表がこれから迎える決勝スペイン戦のための布石なのかなと思うくらいに、フィクションを超えた神展開が現実になりました。おめでとう日本代表!(遅)
前回までの考察シリーズで、前書き(注意書き)に「テニプリに女の子は不要」というご意見があることも認識している旨を書きました。そんな中でこのWBCの中継やその前後の報道を見ていて、改めてそういう意見があることにも深く共感した次第です。

私が実際のスポーツ観戦に求めているものは、高揚とか感動とか勇気とか、絶体絶命の窮地からの逆転勝利がもたらす気持ちのいいカタルシスであって、その選手のプライベート情報ではありません。
大谷翔平や山本由伸のことは日本を代表するトップアスリートとして尊敬し、応援していますが、もしも彼らに特定の女性がいたとして、その方とのプライベートがワイドショー等で「活躍を支えるパートナー」として取り上げられたりしたとしても、私は全然興味を持たないし、むしろそういう情報は「余計」だと思って楽しめないだろうなと思っています。
ある選手に関しては同郷なこともあり、その方が育った背景を別方向で知っていたりもするのですが、それでもそういう部分を「知っている」ことを申し訳ないとさえ思ってしまいます。だってそれは彼が(彼らが)いろんな覚悟を賭して向かっていく戦いの場には、なんの関係もないことだから。

勿論「こういう環境で育って、こういう人に支えられて、普段はこんなふうに過ごている」という選手の背景を知ることは、その選手を愛して応援するひとつの要素(その応援の気持ちが選手の支えにもなりうる)なのですが、彼らの目的はあくまで「全力でプレーする・楽しむ」「スポーツの場面で魅せる」ことです。
スポーツ選手に限らず芸能人などについても同様に「何を見せるか(魅せるか)」が明確な方達の裏側の面、大切にしたいプライベートを詮索したり勝手にあれこれ想像したりするのは、きっとご本人にとって全く喜ばしいことではないはずで。


テニプリにはリョーマに限らずどのキャラクターにも詳細すぎるほどに詳細な公式設定がありますが、それは文字通りファンブック、選手名鑑であって「見せてもいい情報」のみが厳選されたものです。プロ選手がそうやって選手名鑑に載せるものは「ここまでの情報で応援してね」という線引きされたファンサービスであって、それ以上のプライベートは詮索しないでほしい、という暗黙のお願いも含まれているように思います。
苦手なものは「パパラッチ」であるのが公式設定の越前リョーマ氏なので、彼はファンやメディアに私生活を詮索されることを誰よりも嫌がるタイプです。なので彼の「テニスプレーヤーとして表現されている側面」以外のことを想像し、掘り下げていくことに意味があるのか、という自問は今もつきません。

そもそも私にとって「テニスの王子様」は、キャラがかっこいいとかいう以前に、許斐先生の描くテニスというスポーツの魅力そのものに心酔しているという部分が大きい。純粋に読者として楽しむのなら、ファンブックで公開されているようなキャラ設定とかは正直「どっちでもいい」とさえ思っていたりします。
テニプリの魅力は当然ながら試合のシーンであって、試合展開から得られる高揚とか緊張感とか、絶体絶命の窮地からの逆転勝利がもたらす気持ちのいいカタルシスに感動する。キャラ愛に応えるためのファンサービスや過熱するイリュージョンがなくても、真剣な試合だけでテニプリはスポーツ漫画として十分すぎるほどの価値があるのです。WBCで感動を得ているのと同じ種類の感動で、テニプリを読んでいる。


今回のように世界で活躍する選手の姿に励まされ、憧れて「野球を楽しみたい、野球選手になりたい」って思う子どもたちがもっと増えればいいなと思うし
それと同じ次元で、テニスの王子様のリョーマや手塚に憧れて「テニスプレーヤーになりたい」って思う子どもたちも、もっともっと増えたらいい。
テニプリの原点についてもこれまで色々考えてきましたが、少年漫画としてこの作品が存在していることの意義、根本はやっぱりそこなのかもしれないな、と改めて思いました。
テニプリには明るい未来への憧れと夢と勇気が詰まっている。

これからの新テニが、リアルを超える展開と感動を見せてくれると信じて。

*そうは言っても私はやっぱり越前リョーマの物語の「余白」を知りたいし、「テニプリに、というか越前リョーマの成長のために女の子は必要」と思っているので、余計な詮索であったとしても、必要とされてなくても、私なりに考察と創作を続けていく予定です。