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【3月に思う】

毎年行われる恒例の行事。
お別れの儀式。

ここは教職の世界。

大好きな仲間とのお別れ。

なかなか腹を割って話をする
こともなく、時間だけが過ぎ、
去っていく仲間もいる。

一年間という区切りの中で
与えられた行事をこなし、
無事に子供を見送り、
残された仕事を片付ける。

山積みされた書類をかき分け、
必要なものを残して、
全てさよなら…

子供と過ごした教室には
思い出の写真や壁紙がまだ残ったまま。

やがて、この景色も新学期色に染まる。

次々にお別れの儀式や準備があり、なかなか自分の時間が持てないでいる。

別れや感謝の気持ちはとても大切だが、あれもこれも…では
ほんとうに時間は足りない。

自分がお別れしたい人と
お別れしたい時間に、タイミングを合わせてやりたいと思う。

学校というところは、
ほんとうに儀式が多く、
伝統に引きずられて、
自分を無くしてしまいそうになる。

自分は、どこにいて
自分の思いや感情はどこに
あるのだろう。

やりたい?いややりたくもない。

でも、みんなに合わせて、
自分を抑えてスマイルを保つ自分を鏡に映したとき、

何だか悲しい顔の自分がそこに存在している。

最近、学校が息苦しいと感じ、
教室や学校を飛び出す子供や、

集団行動から抜け出す子供の
気持ちがよくわかる。

教師らしくない教師の自分。


本来の生きる目的や自分の役割をつくづく考える。

胎内記憶教育や心理セラピストの道を進み始めたのもそこからだ。


真の自分の自分らしい生き方をしたい。


37年間の教職生活から得たもの。

それは、本来の自分の生き方を知ること。


子育て、介護、離婚…
全てが今の自分にとって
必要なことだったと、今思う。

今度は、自分が幸せを噛みしめながら、誰かを笑顔にしていけたらハッピーになれる。

そう感じている。

この4月から一年間が私の、
私らしい生き方のスタートだ。

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