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おかえり自分

人の記憶に残る人物でなくてはならない
人の人生に何かを与える人生でなくてはならない
顔と名前を覚えてもらおう
功績を残そう オモシロイ人物であろう
人をエンターテインする側であろう

と躍起になっていた時期がありました。
でも、少しばかりそんな脅迫じみた固定概念から
抜け出せた気がする、最近の私。

本当に私のことを好いてくれる人とは
たぶん、何か能動的なアクションがなくとも
成立する気がする。

よくよく考えれば人がただ生きてることに
影響されたりするんよね、私はね。

生きてるってのは生物的に生存してるんじゃなくて
ちゃんとその人が自分の人生を生きてる
っていうところというか、生の実感に
影響されてるっぽい!

なんとなく日本に生まれた人は
だいたいこのフェイズを通っていくんだろう
みたいな人生の模型を見せられて育っていくけど
私の周りってそれから逸脱した人ばっかり

正規ルートとは、、、。なんぞや。。。
となり、なんとなく解放された部分があります。

その結果人を介在させることによって
阻止してた部分に視点を置くキャパが
ようやく身に付いたのかな??

22までは自分を構成する要素を集める時期だった
のかなと最近感じるようになりました。

では今からはどうなるかというと
たぶん自己の基盤の構築だと思うんよね。

たぶんあと数年もすればその上に何かしらの
造形物っぽいものが編成される時期がきて
(この段階にてやっと人に見える形の表現となる)
まあ私のことだから、それ丸ごとぶっ壊して
その造形物が丸ごと基盤を造る要素として
循環するんだろうな〜と。。

22までのアレコレが要素に感じるのは
このサイクルが一周して最近解体作業を
終えたからなのではないか?と。
再構築、人生第2章。

過去の未練から分離せねば!
などと思った結果、過去がようやく私と
融合するという反対の現象が起きたわけよ。
不思議なもので。

そうしたら、なんとなく自分が自分に戻ってきた
気がしてる。どこに置き去りにされてたのか。

恐らく、過去への未練がましさ
そのものが私を分断していて
そこを切り離す作業の正体が融合だった
というオチですな。

まじ、おかえり自分って感じ

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