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【街のバイブスを読んでみる】 #010 隠岐島編


島根県沖40kmの海上に浮かぶ島々、それが隠岐諸島。

隠岐島・・・と称されることが多いが、”隠岐島町”なる町名はあっても、隠岐島という島自体は存在せず、隠岐は”4つの有人島と180ほどある無人島のあつまり”の総称であるということは実はあまり知られていない話かもしれない。(私も恥ずかしながら知らなかった!)

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ここは歴史を振り返ると公家・天皇・上位武士等々、”やんごとなき身分”の方々が遠流となった島。そのため、日本史には何度となくその名前が出てくることから、”日本の離島軍の中では”エース”とも言えるほどの知名度を誇る”島ではあるが、実際のところ私たちが普段生活をしていてその名を聞く頻度はそう高くはないであろう。
故にその生態というか実態はあまりしられていないのではないかと思う。

実際のところ、私も島につくその直前までほぼほぼノーインフォメーション・ノーリサーチだったので、本当にかつてないほど”未開の地”に降り立ったような気分だった。
それこそ、”海外にガイドブックもなしで初めてきた人”のように、”あれ、ここにはなにがあるんだっけ?”といったような(苦笑)

よくよく考えてみるとそれは不思議なお経験だったように思う。
”島に旅に行く”のに、全くその風景や見所といったものが一切脳裏にうかびあがってこない。
予習をしていないのだから当たり前だといえばそうなのだが、今を生きる現代人にとって、”想像もつかい場所”というのは実質そう多くはないのではないかと思うのだがどうだろうか。

(とりわけ観光地と言われるところで、という意味で)

例えば、ロンドンと聞くと、頭の中にビッグベンとかバッキンガム宮殿とか大英博物館とかがぱっと頭に再生されたりしないだろうか。

隠岐諸島の場合はどうだろう?
パリ!ときいてエッフェル塔が脳内に浮かび上がるように、隠岐島と聞いてあなたの脳裏には一体なにかが浮かび上がってくるだろうか?

「島のバイブス」については後からしっかりと触れていくが、実はこの島(島々)は上述のように”いわゆる隠岐島=「〇〇」というランドマーク的なものは持ち得ない場所だ。

実際、この島々のどこにもテーマパークがあるわけでも、世界一の〇〇とか世界遺産!とかがあるというわけでもない。

ただ、そういった”有名なディステネーション”や”何かがあることが確定的な場所”を旅先に選びすぎて、”どこか感動とか面白く感じることすらデザインされている旅とか経験”に慣れすぎている私たちにとっては、”それらとは真反対のなにか、でもとても重要なもの”をリマインドしてくれる場所であるように思う。

私個人、それは島を巡っている間、ずっと感じていたことでもある。

ここでのみるもの・きくもの・食べるものはとてもプリミティブだ。

ただ、利便性・合理性・生産性を追求してきたここ数十年?の近代〜現代の社会を生きる私たちが、そこ過程の中でどこかに置き去りにしたもの・失った何か(それはきっととても大切なものだと思う)、それががまだ手付かずで残っているのがこの島の最大の魅力であるように思う。

   


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            (↑この水の透明度!)

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話は少し変わるけれど、例えば、”島旅”というとぱっと思い出すのは”沖縄とか沖縄県に属する南西諸島”ではないかと思う。

また、近年ではしまなみ街道とか瀬戸の島々。
はたまた、世界遺産をもつ五島列島もそこに加わってくるだろう。

特に前者のような昔からの”ヴァカンス”としての島旅を謳う場所においては、大小様々なリゾートホテルが林立し、旅人を”旅人して大事に扱ってくれる”場所がほとんどだろう。
つまり、そこにあるのは島っぽくはあるけれど、高度にtrainされたスタッフが常駐し、VIPにも対応する”おもてなし”含め、ゲストリレーションがとてもしっかりしているいわゆる”ホテルライク”なもの。

日頃の疲れを癒すために、マリンスポーツを楽しむために、夏休みのデスティネーションとして。実際、そういうものがそういった場所を尋ねる際の旅の目的だろうと思うし、また、近年ではパワースポット巡りとか世界遺産をたずねて・・・といった”サードウェーブ的な目的”もそれに加わるかもしれない。


そういった”典型的な島旅”に対し、島は島でも、
ここ、隠岐からはまったく異なる印象を受けた。

なんといってもそういった”型・雛形ライク”なものが全くなく、島民はそれぞれが自由に、好きなやりかたで日々の生活を営んでいて(もちろん実際は異なるのだと思うけれど)私たち旅人はそこに少しだけお邪魔させてもらうような、間借りさせてもらう感じがするのだ。



一説には某ギリシャのように建築・土木業、漁業、公務員がこの隠岐の主要産業・勤務先であり、多くの人たちがそこに属し、日々の生活を営んでいるので、なんでも好き勝手にできるというわけではないのだろうけれど、少なくともそこに流れている時間は都会とか世間一般でいうところのトレンド的なものとか完全に別のタイムラインであるように思えたのは紛れもない事実。
少なくとも私が感じた、私の中でのこの島のリアルは上記のようなものだ。


日本全国を旅して回ったこともあるけれど、8、9割の地では”都会情報・トレンド情報”等々を目にしないことはないというのが今の現代日本なので、”完全に情報の呪縛から解き放たれた”ような感覚を覚えたのはとても新鮮であったし、それはきっと特筆に値することなのだろうと思う。



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隠岐のバイブス



さて、ここからが本題。
”隠岐のバイブスを読んだみた”だが、
この島は先ほどもお伝えしたように、色々なものがシンプルだ。

起きて、ご飯を食べて、仕事をして、夕日を愛でて、ご飯を食べて、風呂にはいって、寝る。
みたいな感じだ。(暴論すぎますねw)

いわゆる娯楽施設や歓楽街や遊技場やショッピングモール的なものが存在しないことから、
人々は自分たちで自分たちを楽しませることをするし、島民同士のつながりやネットワーク等々もあるので、もちろんそれなりにめんどくさいこともあるとは思うけれど、なんだかとてもシンプルにこの島の世界は回っているように思う。


ゆえにそこには過剰がなく、過多もない。
また、”型”もないので、旅人の視点からするとまるで異国に来たような、一切のしがらみを忘れて、自由になったような感覚を得られるだろう。
シンプルでプリミティブであるということは生活、営みにノイズがほとんどないということだ。
シンプルな生き方に戻ると人の精神からは”余計なもの”が取り去られ、勝手にノイズキャンセル、いや、ノイズデリートされていき、プリミティブな自分、いわゆる自分の原点へとおそらくはほぼ自動的に戻っていったりもするのだろう。

実際、ここで過ごしていると都内だと感じるであろうこと、思うこと等々が本当に驚くほどのスピードで”どうでも良くなっていく”から不思議だ。



ただ、海を見ているだけで、沈む夕日を見ているだけで、あらゆることが小さいことのように思えてくる。
いったい私は、
何をあんなに苦しんでいたんだろう。
なにがどうなってそれが重要なことだと脳内に刷り込んでいたのだろう、
また、なぜ、あれがなくなれば私ではなくなるなどと思っていたのだろう。
(↑誇張していますがw)


禊の風が吹き、浄化の陽光が降り注ぐ、隠岐の島。

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ここは絡まったしがらみや虚構を吹き飛ばすバイブスをもつところで、
豊かな食べ物と大いなる大自然が”生命体”であるあなた自身をアンダーラインしてくれたりもする島のように思う。
あなたのなかにあるちょっと隠れているあなたを表に引っ張り出したり、ちょっと傷ついたあなたをも全回復させてくれるような、そんなバイブスあふれる場所ではないかと思うし、ここまで書いて気づいたけれど、”土の時代仕様に染まっている”体やマインドを精錬し直すのにここはどうにもぴったりなところではないかとも感じる。

時代の変わり目に、一旦、己をドックに入れるような気持ちで、隠岐に行く。この島でのんびり過ごしているうちに自然に、そして自動的に、風使用の自分になっていく・・・。
そんな風チューンを施してくれるのが、隠岐島のバイブスの真髄なのかなと思ったりもしている。


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* * *

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で、結局この島のバイブスは何星で何サインなの?

肝心の?星の話にもどるけれど、この島はその”隔絶感とプリミティブなところと心がぐわわわ”っと反応するところから、とても”蟹座的”なバイブスを感じる。
その蟹座と反対の山羊座は成功とか社会貢献とか役に立つとか、そういった”社会でのほにゃらら”を強く打ち出してくるサインなのだけれど、そういったところが一切感じられず(苦笑)、皆一様に島の営みを楽しんでいる・過ごしている・・・ことを考えると、やはり、7-12の部屋というよりはとても、1-6の部屋らしく、その中でもとりわけ「蟹座」の波動が強いように感じるのは、少しでも星に詳しい人なら納得していただけるのではと思う。
また、天体で言うと、この島の特性である、”どこかこの世のものとは思えない超越的なものを自然から感じること”とか、神社等の多さ等々等々から、ここはやはり、”海王星”のように思うがどうだろう。
チャクラ的にも1、2も強いが、7,8もピーンと開く感じがあり、上下にとても強く作用する、”軸”が強くなるようなバイブスがあるので、上・下が弱い人、バランスがとりづらい人(地に足がついていない感じとか、日々のことで手一杯すぎて先のことが何も見えないとか)が再生するには、ここはぴったりな場所ではないかとも思うのだ。

蟹座 x 海王星。

心、スピリチュアリティ、融合、超越的、風と海と大地。
そういったエッセンスに触れたい方は、是非この島を訪ねてみてほしい。

最後に、この島は確かにちょっと行きづらくはあるのだけれども、その行きづらさがあるからこそ、この独特の”神聖さ、ピュアさが保たれている”のだろうなと思う。
本土に戻る復路の船中で、時代の潮流に迎合せず、変な言い方かもしれない”が、行きづらい島でありつづけてほしいなぁなどと、”アクセスが良くないなぁ”と感じていた往路とは全く異なることを思ってしまっている自分がいた。


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