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wish-list

ちょっと振り返ってみた

ついこの間に8月末に、6年ぐらい前に書いていた”wish-list"的なnoteを見直してみた。
”よくありがちな表現”で恐縮だけど、そこに書かれていた8割ぐらいは叶っていた。でも、叶っていない残りの2割は実はどうでもいいこと。
つまり、「本心から欲しい!とか、やりたいと思っていなかったこと、つまり”忖度”したり遠慮して書いたこと」だったように思う。
例えば、今の自分ならこれぐらいのものが適切だろうとか、だいたいこれぐらいがちょうどいいのかも、とか。
叶わなかったことの全部とは言わないけれど、
相対評価みたいなものをどこか計算に入れながら
かつてはlistを書いていたこともあるように思う。

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今なら、
”え、いやいや、きちんと本心を書こうよ”って思うし、
”え、ダサっ!”とか感じるかもしれないが、
遠慮する気持ちとか、変な社会性とかも己のうちにあったのだろうなと当時の自分を振り返ったりした。

ただ、上記のように「8割は叶ったのだから”やりたいことや欲しいもの”があるなら、きちんとnoteに書きとめるなり、リストにまとめることが重要だ!!」・・・などと言いたいわけでは実はなくて、
「叶う叶わないも大事だが、何よりも”過去の自分と対面できるtime-machine的”な役割をもつのがかきとめる行為の醍醐味」のようにも思うし、こうして、過去の自分と対面できるのはなんとも楽しく、豊かなひと時でもあると感じるから、意外とこうして過去の想いをどこかに残していくと面白いかもよ、というなんともよくわからないつぶやきがこの投稿の本意だ。

「自分なる生物」は新陳代謝するので、一定のサイクルで体の細胞も思考も欲しいものも理想も・・・自分を作る全てが変わっていく。
よく世間でも言うように万物は流転していくものだ。
極論を言うと今の自分にはもう二度と会うことはできないし、
明日の自分は今の自分とはpartially別物だ。
だからこそ”過去の自分なるもの”をちょっと見返せるツールやコトがあるとありがたいと感じるもの。

”過去は振り返らない”という人もいるかもしれないが、
”過去の自分が残したピンや軌跡”を振り返ることは決して悪いこととは思っていなくて、、成長の軌跡を振り返り、そのときの自分は何を思っていたのか、何に振り回されていたのか?!とかちょっとしたタイムワープトリップに出るのもまた人生のひとつの醍醐味であり、また、過去の自分と対面するとなんだか意外と笑えたりするものでもある。

そして、そういう”過去の自分と対面するキット”なるものは
そんなに”多く”はないのだろうとも思う。

やりたいことがわからない?!

ちなみに、wish-list(やりたいことリスト)を書こうとすると、
”何がほしいのか、何をしたいのかわからない”という向きも一定数いるように思うが(実際に今まで出会ったきたが)そういう方達は是非書店にいってほしい。なぜなら書店こそ”先人・偉人・現在売れている人々が残した言葉の宝庫”であり、そういった”TOPクオリティのバイブス”に触れられる場所だから。きっとそうした先人たちの力を借りるなりバイブスをもらうなりして、なんらかのインスピレーションが得られるだろう。
もちろん「書店に行けば全ての答えが揃う!」かどうかはわからないが、なんらかのヒントや答えに近いものを与えてくれるのではないだろうか。

ただ、そういった外部情報に”振り回されすぎる”のもまた本来のwishから離れていくことにもつながりかねないからちょっとだけ注意が必要なように思う。自分オンリーのワクワクが大事で、それがわからないまま進めていくと”完全に他者の人生を生きる・与えられたものをこなしてくだけになっていく可能性もある”と思うがどうだろうか。
「わくわく」とか「ときめく」とか言うけれど、”そもそもの感受性”を取り戻さないとそのセンサーも反応しなくなるし、実際にそういう向きも多くいるように思う。ただ、前述の通り、「書店」とは、また、「本」とはその失われた”ワクワクセンサーを再起動させる装置”なのかもしれない、とも思う。

wish-listを書き換える


話を元に戻すが、定期的にwish-listを見直すことは
非常に大事なことのように思う。
10歳、20歳、30歳等々、その時々で欲しいものや行きたい場所等が異なるのは当然の事。
特に”時空ともいっていいものの速度が速くなっている”近年ではそのウィッシュから結実までの所要時間が大幅に変化しているので、ハイペースで書き換えたり見直していくのもいいだろう。
また、環境や状況が変わっているのが今の星廻りなので、「願い自体」が変わった!という人も最近は多いかもしれない。

視点の変化は本当に著しくて、「1月の望みは6月にはもう叶えたい望みではなくなっている」こともあるかもしれないし、自分も周りも驚くほどのペースで変化していて、これは皆もすでに感じているように思うがどうだろうか。

こういった早い次元の中を進んでいる今だからこそ、
”古い願い・概念”等々を私たちの中に残さないことが重要なのかとも思うのだ。
そしてそのためにwish-listを見返したり、作ったりする。
定期的に脳内のデフラグをするために。

時間は有限。
だからその限られた時間を有意義に使うためにも、
しっかりと”目標とか目的とかリストを作る”のだ。

(ただ、”なにもしないこと・何も欲しない”というのもありだろう。
それが望みなら、もしそれを叶えたいならそういう願いも全然ありだ。)

・・・・

今はすごく自分らしさが”これでもかっ!”と問われる時。
今までロックがかかっていた心の扉が開く時が2020下半期だ。

これから1ヶ月単位ぐらいでwish-listをつけていくと、
2020年頭に書いたものと、2020年年末のもの、
また2021年末のもので
まるで別人か?!っていうぐらい違うもの
ができあがってくるかもしれないな、と思う。

ワインにもVINTAGEがあって、同じ土地でも”年によって味が違う”ように、
自分というテロワールからとれたものをこうして年によって”memo書きとして”残しておくと、自分という人の進化のストーリーが垣間見れたりもするのかもしれないし、またvintageごとの(年毎)の違いをあとから見れたりして、面白いかもしれない。

2010年は豊作だった。
2012年は凶作で害虫に荒らされた。
などとまるでワインを語るように自分を語る。

それをするためにもmemoを残しておく。
ただのメモだとなんだか続かなそうだし、面白くもないから、
wish-listにして、その時の心情とかお金がなかったのかな、とか、
あーガチで結婚したかったんだな、とか見た目に相当こだわってたんだな・・・とかその時の”心情”とかも読み取れるようなものを残しておくのも面白いだろう。

自分という人の人生がいいところまで進んだ時、
晩酌の友、酒の肴になるのは良いワインとこのwish-listかもしれない。

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