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一万年の眠り(5)~バンド社会

 
 狩猟採集民と現代人の間に横たわるもう1つの相違点、それは所属する集団の規模だ。森の中に棲む狩猟採集民は、数十名規模の集団で生活していた。ムブティ・ピグミーの場合は、14~15組の家族が集まって1つのバンドを形成しており、総数で50〜70名程度である。現在このようなバンドが広大な森の中に10以上点在し、トータルの人口は600名規模と推定されている。

小規模社会

 彼らにおいては、バンド同士の接触は意図的に避けられ、お互いの猟場を犯さないよう配慮がなされている。イトゥリの森には、彼らの食生活を充分に満たす動植物が棲息しているため、いわゆる縄張り争いを起こすケースは極めて少ない。このため彼らにとってはバンド社会がそのまま1つの小宇宙をなしていると考えられる。
 一方の現代社会はどうか?これは狩猟採集時代の規模をはるかに超えて、大企業は数万人、大国は億を超える民を抱えている。我々は好むと好まざるに関わらず、この巨大組織の一員となリ、教育を受け、モノやサービスの生産に携わり、税金を納め、選挙で投票する。これが狩猟採集民との4番目の相違点だ。

巨大組織の課題

 このような巨大組織の持つ問題点は大きく2つあると思う。
 1つは、組織の人数が多すぎて、かつ階層化しているため、組織の全体像がつかめなくなる点だ。いわゆる「ダンバー数」に示されるように、人の細やかな認知は150人程度を限界とする。それ以上になると一人一人のプロフィールを記憶できなくなり「人=記号」に変化していく。こうした巨大組織にいるとヒトは自分の行為が組織に与える影響が分からなくなり、機械の歯車のような感覚に陥りやすい。その結果、疎外感が生まれやすくなる。
 もう1つの問題は、階層社会はどうしても権力を生み、そこから格差(持つ者と持たざる者)が生まれてしまうことだ。

平等主義

 ピグミー社会に共通する特長に「徹底した平等主義」がある。水牛やイノシシを狩りで捕獲した場合、狩りに参加したメンバーだけでなく、キャンプに居るほかの住民にも収穫はもれなく分配される。
 
 彼らのこの姿勢を端的に示す、興味深いエピソードがある。WHOハンセン病制圧大使を務める笹川陽平氏が、その活動の一環で2007年にコンゴ民主共和国に住むピグミー族の集落を訪れた時の話だ。
 笹川氏は、少数民族であるピグミー族の間にハンセン病の有病率が非常に高いと聞き、ピグミー族が多く住む北東部オリエンタル州のワンバという村を訪ね、そこで「患者が想像もつかない理由で、治療に適切な量の薬を飲んでいない」という事態に遭遇した。

 笹川氏曰く、「ピグミー族の酋長は(患者の治療のために)もらった薬をハンセン病の人だけでなく、村人全員に分けて配っていたのです。これでは、患者さんにとって本来の服用量が足りなくなり、いつまでたっても病気は治りません」
 こと薬に関しては、この平等主義は治療の妨げになるわけだが、逆に言えば、弱者を許容する共同体運営がそこまで徹底して行われているということを、この話は示唆している。

 このように彼らは、現代の“大規模・階層・格差社会”とは対照的な“小規模・無階層・平等社会‘“をシンプルに実現している。
 それは決して彼らが“原始的”だからではなく、共同体への配慮や知恵が行き届いているからだと思われる。そして彼らは平和裡に暮らしているのだ。このような社会モデルが、格差や疎外感に悩んでいる我々に大いなるヒントを与えてくれているように思える。

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