『『戦争論』入門』【基礎教養部】

きっかけ

例によって『銀河英雄伝説』にハマり続けている僕は、作品をより深く知るために、ある有名な戦争についての本を読もうとした。カール・フィーリプ・ゴットリープ・フォン・クラウゼヴィッツ(長い)の名著『戦争論』だ。『銀河英雄伝説』は明らかに中世ヨーロッパをモデルに作られているので、同じく中世の戦争を解説した『戦争論』を読まないでファンを名乗れるか、ということである。
しかし初めて戦史についての本を読むときに、いきなり訳書を読むというのはハードルが高いのでは?とビビった僕は、その隣に並んでた『『戦争論』入門 クラウゼヴィッツに学ぶ戦略・戦術・兵站』(長い)を手にした。

しかしこれがまた、読むのに苦労した。どうも読んだ内容が消化しにくい。大学1年の時に受講した「化学概論」という授業くらい、内容がスッと頭に入らなかった。
「化学概論」に関しては、ただただ知識不足なだけであったと思う。(大学1年の時点で量子力学をある程度学んでいて、有限深さのポテンシャルの問題を解けるなんてことは、まあ、あまり無いと思う)

では、なぜ『『戦争論』入門』を読みづらいと感じたか。
これも最初は知識不足が原因だと思った。兵站とは何か、行動線とは何か、など。戦史どころか、世界史すら赤点続出だった僕である。知識がないのは分かりきったことであった。
しかし、それを補助してくれるのが『『戦争論』入門』であった。中世以前はこういう軍制があって、こういう戦法が主流で…などなど。知識不足は問題にならない程度の解説があった。では、何故読みにくかったのか?それを考えたい。

『『戦争論』入門』について

まずは『戦争論入門』の構成から

第一編 クラウゼヴィッツとその時代
クラウゼヴィッツを支えた思想や、古代~中世の戦争形態、そしてクラウゼヴィッツが批判の対象とした絶対王政下の戦争など、戦争の歴史を紹介。
また、クラウゼヴィッツ自身はどのような経験をし、『戦争論』執筆に至ったのかの過程も述べられている。

第二編 『戦争論』の内容
「戦争とは、他の手段を持ってする政治の継続に他ならない」という、『戦争論』が他の軍事書物と一線を画すこととなった『戦争論』のメインテーマが初めに紹介されている。
その後、戦争用語や、具体的な戦略・戦術理論を、清水多吉先生が再編し、図を用いて解説している。
この編が、「読みづらい」と感じた箇所である。

第三編 クラウゼヴィッツの受容史
『戦争論』出版直後から第二次世界大戦の時代まで、クラウゼヴィッツの思想が如何様に支持され、無視されてきたかという、受容史を紹介している。
ここ世界史の知識を前提としていたが、「読みづらい」という感覚ではなかった。

「読みづらい」

前述の通り、世界史の知識を必要とする第三編は、それほど「読みにくさ」を感じなかった。もちろん各章(各戦争)についての前提知識(どの国と国が何を求めて戦争していたか、など)は必要であったが、戦略・戦術一般の例え話であればそのような知識がなくても割と読めた。「◯◯戦争における◇◇国の敗因は〜〜であるが、〜〜の重要さは第二編 第◯部に書いてある通りであった」と、振り返れば良い。

問題は、その振り返る先、第二編、「戦略・戦術一般の話」である。

例えばこのような記述がある。

つまり、攻撃軍の包囲運動を無効にする防禦軍の迂回とは、結局のところ、退却内線の確保のためでしかないということです
(第二編 第六部 防禦)

防禦軍を包囲して殲滅しようとする攻撃軍に対して、防禦軍がとれる策は、せいぜいそれを阻止するために「逆に敵の一部を包囲してやる」だけで、立場を逆転させてやろうと考えるな、というわけである。

まず、前提として、攻撃軍は防禦軍を上回る戦力を持つから「相手を包囲殲滅しよう」と考えるらしい。「そうなん?」となる。
次に、こちらを包囲せんとする攻撃軍の一部を、逆包囲して逆撃を与えることができるらしい。「どうやって?」となる。
最後に、もし逆撃が成功しても、そのまま攻め続けず、退却する道を確保するだけに留めておくべきらしい。「まあそうなんかも?」となる。

そう言われればそうかも、と思いつつ、
「いや、でも何とか逆転する方法があるのではないか?」
「(銀河英雄伝説の)ヤン・ウェンリーは不利な状況を幾度も突破したぞ」と、考えてしまう。

しかし『戦争論』は、実際に戦争に参加したクラウゼヴィッツが現実的な目線で書いた理論であるから、浅学な僕が考える程度のことはあっさりと否定される。

しかし、クラウゼヴィッツに言わせると、これほど無責任でデタラメなイメージは無いと言います。
(第二編 第四部 戦闘)


「読みづらい」原因は、現実の戦争を知らない僕が、至る所で「でもこういう可能性もあるんじゃない?」と考えてしまうことかもしれない。クラウゼヴィッツに言わせれば「無責任でデタラメなイメージ」である。

平和ボケかも

では、どうしてこのような「無責任でデタラメなイメージ」を抱いてしまうのか。僕は、平和ボケしているからだと思う。あるいは「軍事的浪漫主義」というやつに毒されているのかもしれない。僕が好きな「銀河英雄伝説」もそうであるが、「不利な状況から奇跡の大逆転」は(男の子なら)誰でもワクワクする。

実際の戦争がどれほど残酷で生々しいものか、僕は知らない。歴史を学んでも、修学旅行で防空壕に行っても、戦争を生き抜いた方々のお話を聞かせてもらっても、やはり戦争は僕にとって「他人事」なのである。むしろアニメの美化された戦争を見て、ワクワクを感じてしまうのである。後世からしてみれば、戦死者の数はただの数字でしかない。

自己弁護になってしまうが、平和ボケしてしまうことは仕方がないことじゃないかと思う。なんなら、一生戦争を経験しなくて済むなら、そうしたいくらいである。それでも一度は戦史に興味を持ったのだから、一生懸命想像力を働かせて、経験したことのない戦争の生々しさを理解(共感)してみようと思う。

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