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伏線回収で大切なのは回収の仕方より伏線の張り方


あらかじめ張っておいた伏線を後々回収していく。

映画やドラマや漫画など、ストーリーテリングする手法としては定番の構成である。

お笑いの世界にも伏線回収ネタは増えました。
漫才でもコントでも、先に出てきたフリを後々回収して見事に笑いへと繋げていく手法。
増えすぎた結果、普通の伏線回収ネタでは驚きも少なくなっているかもしれません。

さらには、エピソードトークにおける伏線回収。
前半に喋っている何気ない事柄が、後半思わぬ形で再登場して笑いへと繋げていく手法だ。

どうしても伏線に関しては、どのように回収するか?
回収の仕方に目が行きがちとなる。

おおっ!ここで出てきたか!ここに繋げてきたか!
という驚きこそ伏線回収の見せ場ではあるのだが…

伏線のための伏線には見えない細やかな配慮。

もしかすると、ここが1番大切なのでは?という勝手な持論です。

先述した通り、もはや笑いの世界においても伏線回収は変化球ではないので、ただの伏線回収でバチッと芯を食うのは難しくなってきています。

大抵私が構成する時は、全体の流れとバランスを見つつ、伏線を張っていく箇所と伏線を回収する箇所にアンダーラインを引いたりもしてみますが…
どこか不安になってきて迷走してしまう時があります。

伏線を張る地点から回収地点までの"距離感の正解"は、確かに存在するとは思います。
その微妙な塩梅はテクニックと経験値から導き出されますが、どうしても1番大切なポイントには感じられない。

小難しいテクニック論より何より
伏線を張る瞬間に「はい、伏線!」と印をつけられるような印象になった瞬間、伏線回収ネタは終わりを告げているような気がします。

特にエピソードトークやしゃべくり漫才においては伏線を張る瞬間に、なぜかピンと来てしまう時が多い。
「ん…?なんとなくあとで何かありそうだな…」と勘づいてしまえば、回収された時に「あっ!」と答え合わせのような気分になってしまい、素直に笑うことが難しくなります。

そんな小姑のようにお笑いを見てる人はおらんやろ…という意見もありそうですが、策が際立ってしまうことにプラスの要素はありません。

「見事!」と「おもろい!」は違います。

脚本構成がしっかりしていることを指す"ウェルメイド"という言葉がありますが、お笑いが目指すのはウェルメイドではありません。

お笑いが目指すのは観ている人たちに余計なことを何も考えさせず笑わせることです。

観る側に何も考えさせないためには
血の滲むような作り手の考えが必要。
これが私のモットーですが、同じ考えるにしても何を考えるのかが最も大切。

伏線を回収して笑いを生むためには、伏線の回収の仕方よりも伏線を張る瞬間が大切。
どれだけ違和感なく張り終えて、自然なまま次に繋がっているか?

その上で、回収するまでの展開をブラッシュアップして精度を高め、伏線にした部分を観る側の記憶から一旦飛ばす。
きちんと飛ばしてからベストなタイミングで回収すれば、記憶を呼び戻すカタルシスと共に笑いがドカンと生まれる。

理想中の理想を語っておりますが、この文章は何気に思いついた自分用のメモとして忘れないように残しておきます。
もし誰かのためになれば、それはそれで嬉しいので一応公開もしておきます。

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