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【無料】古舘伊知郎さんは切り捨てられた層の断末魔を救う語り部

深く考えさせられると共に、現代の一面を象徴する意義の詰まった古舘伊知郎さんのインタビュー記事。

誰もが認める芸能界のレジェンド、古舘伊知郎さんが本気の悩み苦しみを吐露している。

プロレス実況で名を馳せ、テレビ番組の司会者として、報道番組のキャスターとして、1人喋りの名手として…

圧倒的な実績、何十年にも渡って見せつけた実力。
側から見ればもう十分やり切ったのではないだろうかと思いきや、66歳になられた古舘さんは苦しんでいた。

冒頭、古舘さんが懇意にしている作家さんから「しゃべりが長すぎる」と指摘を受けたとの話があります。

南海キャンディーズの山里さんなどを例に出し、ワンフレーズで決めるシャープなワードセンスが今のテレビのありかたに適しているという提言。
番組の構成や編集などを考慮すれば至極真っ当な意見であり、大抵テレビ番組のMCとは企画内容に沿った動きが求められます。

縦横無尽に言葉を紡ぎながら長尺語ることを得意とする古舘さんは、思う存分喋れる場所をYouTubeに求める。
しかし、思ったように再生数は伸びず、その現象を古舘さんは「YouTubeジジイの断末魔」と独特な言葉で表現されておりました。

長尺語りが適さない今のテレビにフィットしない。
思う存分長尺を語れるYouTubeでも結果が出ない。

そんな苦しみを抱える中、あるテレビ番組の収録でゆきぽよちゃんから古舘さんのYouTubeに対する指摘が記事には記されております。そのまま引用させていただきますと

「古舘さんは結構面白いこと言ってるんですよ。
よく聞くと。よく聞くと面白いことを言ってるんだけど、作りも設定もオジサンくさい。これでは伸びないんです。効果音を入れるとか、カラフルに作るとか、そういうことをやらないと。オジサン感が強すぎる」

ゆきぽよちゃんも番組の企画に沿っての辛辣な意見だと思いますが、「痛いところを言ってくれた」と古舘さんは若者の意見に耳を傾け、きちんと受け入れておられます。
その柔軟さや懐の深さには頭が下がりますが、オジサン感溢れるパッケージよりも古舘さんがどんなターゲットを狙っているのか?
ここが明確化されない限り、パッケージの工夫は活きてこない。

60歳を超えてからのYouTube挑戦には敬意を払いますし、何とか時代の波に乗りに行こうとする姿勢には心を動かされます。

しかし、古舘さんがやろうとしていることは
ミシュランで星を取った予約の取れない老舗高級和食店を原宿の竹下通りに出店しているようなものです。

若者でごった返す通りにミシュランの高級和食店があったとしても目に入るはずもなく、その隣にあるクレープ店に列をなすのが、その街における常識。

クオリティより環境によって評価も結果も左右され、どこの場所に出しているのか?誰に向けて何を出しているのか?
現在、媒体やアウトプットの方法は細分化の極みを迎え、同じ価値観の共有は極めて困難な時代となりました。

いくらミシュランで星を取ったと言われようと、ミシュラン自体を知らない人にリーチすることは不可能。

自分のスタイルが時代に合わないとおっしゃる古館さんが続けます。

自分では年甲斐もなく積極果敢に変えてるつもりなんだけど、実は思っているようにはできていない。
そうなると、結構、自分を疑ってますよ。
もしかすると、オレ、もうヤキまわってんじゃねぇかなと。

あの古舘伊知郎さんが自分を疑うと本気の弱音を吐露しており、思わず胸を打たれます。

ちなみに、私は30代の後半に差しかかっております。
古舘さんは大成功なされた60代の大御所であり、私ごときの若輩者が意見するのは憚られます。

しかし、この類の悩みの縮小版は40代の背中が見えてきた私にさえあるのです。

30代も中頃過ぎれば、これまでのやりかたを貫き通せるほどのベテランには程遠く、フレッシュな新世代から見れば旧世代に当たります。
30代後半など50代〜60代からすればハナタレガキであり、10代〜20代から見れば「古い」と評される運命にあります。

青春時代にテレビ黄金期をガッチリ観ながらも、テレビの恩恵を受け切れない狭間の世代。

多感な10代の頃はテレビが主流で、まだまだ流行にアンテナを張っている20代後半くらいからスマホが台頭してネットが主流になった世代。
ようするに、完全なるテレビ世代でもあり、完全なるネット世代でもあるのです。

その中途半端なポジショニングが大きな悩みの種でありながら、それと同時に強みを感じる場面も多い。

両方の感覚をしっかりと持ち合わせ、両方を俯瞰で見極められる目を持つことは我々世代最大の強みなのです。

我々より10年以上の経験値がある50代以上に当たる世代は、大抵SNSやオンラインの細かい諸々が理解できないと言います。
一応使ってはいるけど、よく分かっていない。
使い方や仕組みこそ理解できても、その中に流れている微妙な空気感を肌感覚では感じ取れないし、感じ取ろうともしない。

我々よりも10年以上経験値のない20代以下の世代は、年配の人たちの感覚が当然理解できません。
例えば「タブレットではなく本は紙で読みたい」
みたいな、長く生きているがゆえこれまでに培ってきたやり方を貫く感覚は効率や利便性が常識となった世代には理解しづらいし、理解しようとも思わない。

私のような狭間にいる30代は、その両方の感覚を深い部分で理解でき、両方の感覚を併せ持っております。

TikTokをバズらせることの意味合いも理解できますが、北島三郎さんの凄さも真の意味で理解できます。
タブレットで本を読みますが、タブレットに抵抗がある人の気持ちも心の底から分かります。

両方の感覚を併せ持つ私の意見ですが…

古舘伊知郎さんは「YouTubeジジイの断末魔」ではなく
「切り捨てられた層の断末魔を救う語り部」なのです。

切り捨てられた層とは50代以上を指します。
昨今、テレビは49歳以下の視聴者をコア層と設定し、極端な若返りに突き進んでおります。

ネットに奪われた層を取り返すべく、新たな指針と評価軸を打ち出し、テレビの世界は大きく舵を切りました。
その方針の賛否はさておき、コロナと共に時代は大きなうねりと共に変化し続けています。

待ち受けていたのは「観るものがなくなった」「楽しみが消えた」と叫ぶ切り捨てられた層の断末魔。

さあ、誰が救うのか?と聞かれれば、酸いも甘いも噛み分け、人生の深みと説得力を持って言葉を操れる本物しかいない。

今の状況は無様という言葉がしっくりくるものだと思います。
でも、良くなりたいから、何とかその無様さを見せてでも進みたいし、進むしかないんです。

何十年も言葉の力で生き抜いてきた古舘さんが「無様」という言葉を使って自らを称することの意味と衝撃。

古舘さんほど凄い方でも、自らの立ち位置を客観視しながら時代を受け入れ足掻く姿勢に私は勇気をもらえます。

だからこそ、あえてこの言葉を使いますが、、、

降りて行かないでほしい。

竹下通りのクレープ屋の横で店の外観をポップにして写真付きのメニュー表作って850円のA定食を出す必要はありません。

ミシュランの星を取ったお店は目利きでグルメな人間を相手に、丹精込めた料理を一品一品作って、それなりの値段を取って格式のある城を構えてほしいのです。

本当に美味しければ向こうから人が来る。

どれだけ時代が大きく変わろうとも名店は名店であり続け、その味と空間を求めるお客さんは期待して待ち焦がれております。
その店にしか出せない究極に研ぎ澄まされた味とサービスを求め、遠方からでもお客さんが足を運ぶような…
古舘伊知郎さんは、ちゃんと見る目のある人間の心を震わせる語り部であってほしいのです。

降りていく古舘伊知郎よりも、、、
60代になってなお日本全国にトーキングブルースを響かせる古舘伊知郎が1番カッコいいに決まっている。

最後に、、、
この古舘さんのインタビューを取材され、文章に起こして記事にされた芸能記者中西正男さんの手腕についても触れないわけにはいきません。

この本音を引き出す力と文の構成力。そして、取材対象者に対する寄り添いと愛情。

読みやすく、分かりやすく、文字のみでエモーショナルな世界に導く巧みさ。

本物が伝えようとする言葉の一つ一つを最高のお皿に乗せて丁寧に運ぶライターの底力。
勉強させていただくと同時に、プロフェッショナルの何たるか?を感じざるをえない素晴らしいインタビュー記事でございました。

オレに残された唯一のもの。
しゃべるということに躍起になってるんです。
もがいて、あがいて、無様さを見せてでもしゃべっていくんだと思います。
だって、オレにはそれしかないんだもの。

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