石毛宏典選手に1億円を出した西武ライオンズ
1番 セカンド 辻
2番 ライト 平野
3番 センター 秋山
4番 ファースト清原
5番 DH デストラーデ
6番 レフト 阿部
7番 サード 石毛
8番 キャッチャー伊東
9番 ショート 田辺
僕の記憶している、西武ライオンズの黄金期のベストオーダーです。
監督は、森監督でした。
リーグ5連覇を含む、8回のリーグ優勝、6回の日本一を成し遂げたチーム。
まさに最強。
▼ 1億円プレーヤー
投手陣にもスゴイ顔が揃っていました。
東尾修、渡辺久信、郭泰源、工藤公康をはじめ、石井、潮崎、鹿取などなど。
そんな黄金時代の最中に、東尾投手がたしか、1億円プレーヤーになったと記憶しています。
同じ年の数日前に、中日にトレードで移籍していた落合博満選手が日本人初の1億円プレーヤーになっていました。
落合選手と言えば、三冠王に2度も輝いたとんでもないバッターでしたし、東尾投手も西武ライオンズの黄金期のエースという大投手。
そんな球界最高峰の選手が、1億円プレーヤーとなっているのが当時の状況だったと思います。
1億円超えれば超一流、みたいな感じ。
そんな中で、その数年後に、石毛宏典選手が1億円プレーヤーとなりました。
当時はまだ、1億円プレーヤーが数人しかいない中での仲間入りでした。
僕の記憶だと、石毛選手はタイトルを取ったわけでもなく、数字的には、トップクラスではあったものの、当時の1億円プレーヤーに比べると、そんなに突出したものはなかった記憶です。
でもそこに、西武球団は、1億円を出したのでした。
当時石毛選手は、キャプテンを努めていて、西武ライオンズというチームは、石毛選手を中心にまとまっていたのだというのが、僕の印象でした。
僕の親父は大のライオンズファンなのですが、親父も常々、
石毛がいるから強いんだ
なんて言ってたんですよね。
その影響もあって、僕も石毛選手をそういう目で見ていました。
そしてそこを、球団は評価したのだと。
チームリーダーとしての存在意義を、球団が認め、評価したのだと思います。
こういう評価って、当時としては、とても斬新で画期的だったと思います。
チームリーダーとか、他の選手の心の拠り所とか、この選手を中心にまとまっているとか、そういう評価軸というものは、当時はなかったはずです。
今では、どのチームも、選手の中にキャプテンを置いたりすることも珍しくなくなりましたが、僕は、あの当時の、西武球団の石毛宏典選手に対する評価がきっかけになって、そういう流れができたんだろうなと思います。
同時は本当に強かった、西武ライオンズ。
そしてその中心にいたのは、間違いなく、石毛宏典選手でした。
僕も大好きな選手でした。
以上でーす。