最低限の知識の重要性
昨日に続いて教育のことについて書きます。今日は最低限の知識の必要性について書きたいと思います。日本とドミニカを比べて考えた時に日本の教育はすごいことだと気づきました。日本の教育を批判するだけでなく、とても高いレベルでの改革が行われているという前提が必要だと思います。教育が不十分な国に行くと教育の大切さに本当に気付くことが出来ます。今日は日本とドミニカを比べて気付いた「最低限の知識の必要性」について書きたいと思います。
日本の教育
日本の子どもはポイ捨てをする時に、これは今だめなことをしているという自覚があると思います。それは学校で地球温暖化のことを学び、道徳の授業で道徳観を身に着けているからだと思います。つまり、ポイ捨てがなぜダメなのかを学校で、きちんと教えられているということです。
ドミニカ共和国の教育
一方、ドミニカ共和国では、学校に通っている子どもは一定数いるものの、教育に力を入れている国とは言えません。理由は様々ありますが、一番大きいのは、教育を受けたところでそれほど給料が変わらないということだと思います。それなので、男の子の場合だと野球で大金を稼ぐことの方が夢があります。なので、野球に一生懸命になる子どもの方が多いです。根本にあるのはお金の問題ですが、教育を十分に受けていないという現実は、ドミニカで生活していると様々なところで露呈しています。
ドミニカ共和国のごみ問題
その一つが日本の例であげたポイ捨てです。ドミニカの人の多くがポイ捨てに対して問題意識がありません。なので、ゴミだらけのところもあります。これはドミニカの問題ですが、日本も、もし学校でごみを捨てると地球温暖化に悪影響をおよぼしたり、健康問題を引き起こしたりする可能性があるということを教えられていなかったらこうなっていたかもしれません。最低限の知識を教える責任が学校にあるということを改めて感じました。
教育の大切さ
教育が不十分な国に行かないと教育の大切さには気づけませんでした。日本は最低限のレベルをクリアできているので、これからはもっと高いレベルでの教育が求められています。そして、日本に求められている教育のレベルの高さはこうしたドミニカのごみ問題などを、自分たちの問題としてもとらえられるかということです。それは、ドミニカだけでなく世界の様々な問題がそうです。それが、教育界で重要視されているグローバルな視点だと思います。
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