禁断症状

(2021/3/25)

このところずっと、悩むともなく悩み続けていることがある。ちょっと芸名でも変えてみようか、ということだ。割と最近変えているのだが。

底の浅い人間ほど名前や肩書に拘るという。さもあらんと言うべきか、僕も全く多分に漏れない。僕の場合は「名前」なわけだが、何かあるたびにすぐ改名したくなるのだ。

ちょっと意味が解らないと思うだろうが、そもそもの話をすれば、きっかけは幼少時代に遡る。

僕には当時、いわゆる「苗字マニア」の友人がいた。彼は日本のいろんな苗字の由来や分布、難読苗字や希少苗字のことなど色々教えてくれたのだが、なかなかどうしてこれが興味深かったのである。

そしてその話を聞くにつけ、自分の名前が既に一つに決まっており、基本的には自由意思で決められないことに物足りなさを覚えるようになったのだった。もともと飽きっぽい性格だし、名前も飽きたら変えるくらいのことができればいいのにと思った。

ついでにいえば、僕は昔から自分の本名がどうにも嫌いだったのも輪をかけた。その原因はと言えば、かつてとても苦手だった人物がよく名前で呼びかけてきたので、その響きが嫌になってしまったと考えられるのだが、ここを掘ると到底エンターテイメントに消化できない予感がするので有耶無耶のうちに埋めておくことにする。

そんなわけで、「もし自分がどんな苗字、どんな名前に変わったら楽しいだろうか」と妄想するクセがついてしまったのだ。

さて、ここまではまだ子供の微笑ましい妄想なのだが、この先にこそ僕が「プロのめんどくさい人」と言われる所以がある。

上述の改名妄想と本名嫌いが変な感じに化学反応を起こした結果、気付けば『何か嫌なことが起きたとき、名前が悪いんだと思う』という謎の風水かぶれ的思考が発生するようになってしまったのである。
もちろん占いの類に傾倒したこともなければそのような心得もない。

今にして思えば「嫌な出来事 → 自己肯定感の低下 → 自己の象徴たる名前への嫌悪感」という謎方程式が確立したのだろうと思う。

かくして僕と、なぜか常に「名前が悪いのよ。あなた改名したほうがいいわよ」とささやくだけの脳内風水師との関係は始まった。最早かなり長い付き合いになる。そろそろ名前の他にまともな鑑定を覚えて独り立ちしたほうが良いんじゃないかと思う。間取りとか。

しかしいまだに風水師は、何かあるたびささやくのをやめない。今となってはこの「何かあるたび」というのが非常な曲者で、たとえば電車に乗り遅れて予定が乱れたとか、欲しい雑誌が売り切れだったとか、仕事で軽く怒られたとか、非常にしょーもないことこの上ないのだ。そのたびに名前を否定されていてはたまらない。

「あー、寝坊したなあ」
「あなた改名したほうがいいわよ」
そんなわけあるかい。

そして今、つまるところ何が言いたいかと言えば。近々急に芸名がガラッと変わっても変に思わないでくださいね、ということだ。

悪いのは、紫色のシルクのスカーフと金色のネックレスを身にまとい、両手に水晶を抱えた脳内風水師である。

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