◼️テーマ「字幕と吹替」

字幕と吹替。母国語以外の心得がなく、映画を見るにはどちらかを選ぶ必要のある僕(を含めたおそらく大多数)にとって、非常に頭を悩ませる二択だ。
ここには、どうしても人それぞれのこだわりや見方が表れやすい。これは僕の偏見かもしれないが、映画通を自称する人ほど「字幕しかありえない!」と言っているイメージがある。

それはつまり、字幕のほうが作品原来のニュアンスを感じ取りやすいということなのだろうと察する。しかしその点で言えば、必ずしもそうではないと僕は思う。

原来のニュアンスとは何か。字幕で見る場合、当然それは役者の演技ということになる。吹替は、いくら声優の技術力が高いといえども別人の演技に置き換わっていることに変わりなく、確かに元々の作品から乖離した要素にどうしてもなり得てしまう。字幕で観るのが最も作品の雰囲気に入り込みやすいと考えるのも一つの見方だろう。

しかし字幕には、僕が個人的に見過ごせないと思っている要素がひとつある。それは字数制限だ。
劇場用映画の字幕は、基本的に「セリフ1秒につき4文字以内・一度に表示される字幕は20文字以内」とされている。そのため原語のセリフが全てそのまま訳されていることは少なく、意訳がなされたり、大意に影響なければ細かい言い回しは省いたりしてセリフを簡潔にまとめる作業がなされているのだ。この点、吹替だと原文のセリフが省略されずそのまま残っていることが多い。簡単な挨拶程度のセリフならば字幕では省略されるが、もちろんそれも含め全てのセリフが吹き替えられている。
だとすると。「原来の脚本のニュアンス」をより感じて楽しむことができるのは吹替のほうだという見方もできるだろう。

つまり字幕と吹替、どちらが作品原来のニュアンスに近いかという議論は成立しない。元の演技の機微か、脚本上の言葉か。そのどちらの再現性を求めるかという見方によって変わってくるのだ。

さて、僕はどちらを選ぶか。
うーん。…場合によるとしか言えないよね。非常につまらない答えだと思うが仕方ない。どちらかと言えば字幕を選んでいる率の方が高いだろうか。この「場合」というのは何なのか、少しだけ真剣に思い返して考えてみたのだが、おそらく「ジャンル」というのはひとつ大きな要素である気がする。

ファンタジー色の強いバトル物や冒険活劇風のものなどは吹替との親和性が高いように思う。
これは僕の大好きなスター・ウォーズから学んだ事だが、ファンタジーの世界観というものは、とかく細部に宿るのである。名作とされる作品であれば尚更だ。細かいセリフや言い回しの端々に、「その世界における当たり前」が潜んでいる。それこそがリアリティを増し、作品世界への没入感を与えてくれる。ゆえに、できることなら脚本上にあるセリフは一言たりとも取りこぼしたくないのだ。そうした意味で、吹替のほうが求めているものに近いケースが多い。感情表現のレベルや情感が原語版よりも増してしまいがちな吹替は、ファンタジーのような大きく広い世界観にこそマッチするという面もあるかもしれない。

ともかくも、字幕と吹替は時と場合に応じて一長一短である。もちろん原語そのままで観れる言語力があるならそれに越したことはないけれども、どちらかを選ぶ必要がある以上は、2種類の楽しみ方ができるんだと前向きに捉えるのがいいよね。
何事もそうだと思うが、映画は字幕しかありえない!みたいな「かくあるべし」的こだわりというのはあらゆる意味で人生の幅を狭めてしまうんじゃないかなと思っている。選択肢があるならば、その選択を楽しめるメンタリティでいたいものですね。日常的に些細なこだわりによって雁字搦めになっているこだわりオバケな僕なので、完全な自戒です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?