◼️テーマ「夕焼け」

夕焼けはなぜ赤いのか。

改めてネットから拾ってみた情報によると。夕方になると太陽は斜めの角度から差し、太陽光は昼間より大気の層を長く通過する。そうすると、光に含まれる青い色が届かなくなり、残った赤い色が目立つようになる。
とのことだ。

さて、なぜ改めてこんな事を調べたかといえば。昨日たまたま見た子供向け番組で、とある童謡か唱歌の類が流れていたのだが、その歌詞の中に「夕焼けはなぜ赤いの?」「赤いパジャマに着替えたからだよ」という一節があった。それ自体はとてもいい歌だったのだが…。

そのとき思ってしまった。もしも、いざ自分の子供が本当に「夕焼けはなぜ赤いの?」と訊いてきた場合。
「夕方になると青い色が見えなくなるんだよ」と正しい知識を教えてあげるのと、「赤いパジャマに着替えたんだよ」とロマンチックっぽく煙に巻くのと、果たして正しいのはどちらの選択肢だろうか。

人それぞれの考え方があるだろう。ただ個人的には前者、正しい知識を教えるほうに一票だ。

何故かというと、これはおそらく自らの経験と記憶が関係している。僕の両親は、どうにも何というか、子供という存在を「たかが子供」と侮っているような節があった。妙な言い回しになるが、子供に対する子供扱いが大げさに過ぎるとでも言おうか。どんな意思表示をしようとも、すべて微笑ましい子供の戯言だと半笑いで流し、真剣に取り合うことのないような親だった。

こういう親は、えてして子供からぶつけられた疑問に対し、その場の思いつきだったり適当な内容を冗談のつもりで返すのだ。
「きくらげって何?」
「ペンギンさんのお肉だよ」的な。
どうせ子供は何も理解していないと思っているのだろうが、子供は意外とはっきり覚えている。

「夕焼けはなぜ赤いの?」
「赤いパジャマに着替えたからだよ」
僕には、なんだかそういう類の、子供を侮った適当な返答に思えてならない。本人はロマンチックにうまいこと言ったつもりなのだろうが、こんなんで子供を感心させようなど片腹痛い。と思うのだが、いかがか。

子供というのは大人が思っているよりも、しっかり物事を考えているものだ。
自分なりに真剣に考え疑問をぶつけたら、返ってきたのが適当な嘘だった。それを感じ取ったとき子供のなかに残るのは、親に裏切られた、あるいは親に相手にされていないという心の傷のみだ。その罪は重い。

そんなわけで、半分くらい私怨が入っているのは承知だが、自分だったら子供にはしっかり真実を伝えるという姿勢でいたいものだなあと思う次第だ。

あ、一応言っておくが、「赤いパジャマに着替えたから」という答えが子供発信だった場合は、否定するのではなくその感性を大事にしたほうがいいだろうと思っていることは付け加えたい。前提に囚われないそのイメージ力・発想力は宝だ。それをドヤ顔した大人が誘導しようとするのが烏滸がましいというだけである。

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