◼️テーマ「インスタントコーヒー」


辻さん(Twitter:@TeatroPiccolo_P )と、
檀さん(Twitter:@kenshin_woman)
と共にエッセイリレーをやることになった。
一人がテーマを出題し、残る二人がその同じテーマでエッセイを書く。それを週替わりで繋いでいくというものだ。今回はその第一弾、テーマは「インスタントコーヒー」である。



今回の企画、「日常に当たり前にあったが、これまで特に深く切り込んで考えることもなかったものにフォーカスを当てていこう」と言う裏テーマがある。
さてインスタントコーヒー、これまでの個人的注目の有無はどちらかと言うと、全く「ナシ」だったテーマだ。完全にナシ寄りのナシだ。理由は至極単純。僕自身がもともとカフェインの作用に過剰反応してしまう体質で、基本的にコーヒーが飲めないからである。

味がダメ、とかいうわけではないんですけどね。おそらくどちらかといえば嫌いじゃない部類に入ると思うが、いかんせん飲んだ瞬間に頭痛などの症状が出てしまうのである。飲みたくないわけではないのに飲めない、なんとも因果な身体を抱えている。結果、現在所属している職場の中でも、僕が唯一コーヒーの定額飲み放題サービスに加入していないといった現象が生まれている。なんともむずがゆい状況だ。特に、僕だけを除け者にして月のコーヒー代の集金が行われている時などは。

特に人からはみ出すことを気にせず生きてきたつもりなのだが、こんな僕にも、「とりあえず全員ビールで!」と席に着くなり宣う上司を後目に「あ、すみませんカルーアミルクひとつ」と発するのに気後れしてしまうようなTHE・日本人メンタリティが残っていたらしい。ちなみに僕はカルーアミルクしか飲まない。カルーアミルクを馬鹿にする人間とも飲まない。

と、ここでひとつ引っかかったのだが。そこそこ人数のいる職場において、コーヒーを注文していないのが自分だけ、というのはいかなることなのだろう。
コーヒーとは言わずもがな、あの独特の苦みと酸味がまずガツンと来る、かなり味に特徴のある飲み物だ。それがほぼ大多数の人間の好きなものだと言う事実、ちょっと釈然としないものがある。

たとえば僕はルートビアやドクターペッパーといった飲み物が好きだ。ご存知の方も多いだろう、味に特徴のあるガラナ系の炭酸飲料として知られ、かなり好みが分かれる傾向にある。大好きな僕にとってみればただただ爽やかな美味しい味としか感じられず、その評価に納得がいっていない。
しかし、その個人の思い入れを抜きに客観的に見たとしても。コーヒーの持つ癖って、それ以上のものがあるんじゃないか?と思うのだ。もう少し、声高にコーヒー苦手を叫ぶ人間がいてもおかしくないんじゃないのか。

思えばこの世は、コーヒーに対する信仰が厚い。
客として招かれ、応接室でまず出てくるのはコーヒーだ。コーヒーは、相手に対し「最も失礼のない飲み物」とされているのだ。
また冬場、何か温かい飲み物が欲しいと自販機やコンビニを見ても、置いてあるのは大抵がコーヒーだ(紅茶などはあるがどのみちカフェインがダメなので僕は飲めない。白湯を置いてくれ頼むから)。コーヒーは、大多数に対し「最も外れの無い飲み物」とされているのだ。

僕はここに世の乱れと矛盾を見る。みんな本当に、コーヒーは「万人が好き」に相応しいと思っているのか。コーヒーが飲めない僕は、この世から隔絶された存在だということなのだろうか。

この先の言葉は、僕が癖のあるルートビアを好きであるように、純然たるコーヒー好きの皆様にとっては大変な失礼となるかもしれないので先に謝っておく。申し訳ありません。あなたではなく、「特に好きも嫌いも考えたことがない大多数」に焦点を絞っています。

さて、改めて冷静に振り返ってみてほしいのだ。みんな心のどこかで、「大人はコーヒーを飲む」という前提を前にした思考停止の結果としてコーヒーを飲んではいないだろうか。
語弊もあるので詳しく言い代えれば、大人が飲み物を選ぶとき、自動的にコーヒーという選択肢が最上位に位置してしまう不思議な世のシステムがあり、誰もそこに特段の疑問を持っていない状況なのだ。そして多くの子供が「大人になればコーヒーを飲む」を、さも「誕生日が来れば歳を重ねる」と同じくらい当たり前の事としてインプットしていく。一種の洗脳と言っていい。

これはちょっとした恐怖だ。
この世は知らず知らずのうちに、あの真っ黒い液体にじわじわと浸食されていたのだ。イメージ映像としてはあんな感じだ、フォートナイトというゲームで世界の外側を包んでる黒い霧。ここはもうだめだ。はやく大陸の内側を目指さなければ。



さて、ともかくも今現在、コーヒーはごく一般的な飲み物になっている。その来歴を調べるまでもなく、インスタントコーヒーの開発がそれを後押ししたであろうことは想像に難くない。ようやく本来のテーマに戻りましたね。
豆を挽き、抽出し…という元々の煩雑さを思えば、簡単に飲めるようになったというのは大事なことだ。先の話を踏まえれば、これが大きな変革の根源であったわけだ。

ただそれにしても、皆がその味を求めたから最初に広まったことに違いはないわけで、これだけの魅力がコーヒーにはあるということになる。あまり積極的に飲むことができない僕には今のところ解らないが、こうして改めて考えてみることで俄然興味がわいてきたのは確かだ。
もう少しだけ真剣にコーヒーの味と向き合ってみるのも悪くない、そう思ったのだった。

…でもなんか、一般にすごく美味しいとされるコーヒーって、基本すごい酸っぱいよね?(たぶん偏見)

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