◼️テーマ「皿洗い」

エッセイリレー企画2本目。
今回指定されたテーマは「皿洗い」。

おそらく数年前くらいだったか、なにかのテレビ番組で見たところによると、脳科学的に見て最もストレス発散に役立つ家事は「皿洗い」だそうである。詳しくは覚えていないが、流水に触れるということと、汚れていたものが綺麗になるということが及ぼす心理的効果がとても良いのだとかいうことだった。

それを見たとき、なるほど、科学は人を救わないのだなあ。と心底思ったものだ。

科学的に正しいことが、必ずしも正しい結果を導くわけでないという証明だ。
だってそうだろう、皿洗いが最もストレス発散になる、とてもじゃないが納得できない。むしろストレスの大権現である。
これについては僕が多数派だと信じて書くが、皿洗いは嫌いだ。極度の面倒くさがりな僕は普段まともに料理などもしないが、これもどちらかと言えば、後片付けが面倒すぎることのほうが理由として大きい。

と、ここで自分がいかに面倒くさがりであるか改めて語っていくこともできるのだが、それでは何も建設的な方向に話が進まない。せっかくだから心を切り替え、もう少し真剣に科学の答えと向き合ってみることにする。


脳科学的に見て、最もストレス発散に役立つ家事は「皿洗い」。
まあ、そこまで言うからにはそうなんだろう。これは正しいのだとしておこう。ただ、ここで忘れてはいけない重大な要素だと思うのは、元々のストレス値である。
仮に、皿洗いの効果でストレスが-20されるとしよう。これで50あったストレスが30に低減され、ストレス解消!と、なるだろうか。僕が思うに違う。
元のストレスが50とすると、まず皿洗いをしなければいけない事実に対して+30のストレスが溜まる。そして、実行したことにより-20。結果ストレス値は60となり、元より増えていることになる。これが実情だと僕はにらんでいるのだ。

これは詐欺だ。嘘は言っていないが、重大な前提条件を記載していないという詐欺の手口だ。確かに配当は戻ってくるが、決して初期投資をペイできる時は来ない。
それを耳障りの良い部分だけ並べ立て、最もストレス解消になるのは皿洗い!などと。これがテレビ番組、メディアのやり方である。恐ろしいことだ。



しかし存外、この現代社会における大人のストレス発散法なんて所詮そんなものかもしれない。即ち、これで無条件でハッピーに、なんてものはなかなか無く。結局何をするにおいても多少のストレスは付きまとうということなのではないか。ようはプラスマイナスで最終的にどうなるかという話だ。
なんだか世知辛いが、この事実を受け入れてこそ楽しく暮らせるのかなという気もする。

ごく個人的なことだが、このところ疲れがたまっているのか、何をしてもなかなか気分がスッキリしない。しかしその理由のひとつには、持ち前の変な完璧主義があるような気もしているのだ。つまりは、ストレス解消法にさえ100%の結果を求めている。

『なんやかんや足して引いて、ややハッピーの優勢です』
好きな歌の歌詞の一説であるが、必要なのはこの精神だったようだ。



と、そんなことを書きながらふと台所を見ると、朝食時に使った食器がそのままシンクに残っている。洗わねばならない。しかし…面倒だ。
一番の問題は、この「〜しなければならないが、面倒で逡巡」という時間であろう。先のストレス値の話に戻せば、この時間は値がタクシーのメーターのように上がり続ける魔のゾーンなのだ。
このマイナスをプラスに持ち込むには、やはり皿洗いに手をつけ、メーターの上昇をまず一旦止めるほかない。

そしてこれも前述の通り、皿洗いを済ますだけでは溜まったストレスをペイできない。その先に何か、更にプラスとなりうる事柄を付け加えなければ。
と、ここでまたしても「〜なければ」とストレス要因となる魔の言葉が。無限ループ。怖い。
ただまあ、積極的に気分の上向くことを探すということ自体は悪いことでは無さそうだ。どうあがいてもストレスを避けられない現代、いかに見返りの多いストレスを効果的に受けるかという判断スキルが必須なのかもしれない。

さて、そんなこんなで台所の食器を視認したと記載してから30分経過。
まだ皿洗いには手を付けていない。

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