◼️テーマ「笑顔」
いつもの帰路、地下鉄構内を歩いていてふと、すれ違っていく人波を見ると、見渡す限りすべての人がマスクを着用して歩いている。冷静にみるとすごい光景だ。
マスクを手放しては生活さえできない、そんな社会に変質してしまってからもう久しい。すでに当たり前になっているが、なかなかに不思議なものだ。だって、考えてもみてほしい。たとえば「帽子にマスク・サングラス着用の人物」と、「ごく一般的な平服だがノーマスクの人物」の2人がいたとして、このご時世、たぶん後者のほうが周囲から積極的に避けられる。まさか不審者の何をもって不審とするかの概念が180度入れ替わるとは思ってもみなかった。環境変われば常識変わる。ニュースタンダード恐るべしである。
そういえば先日立ち寄ったある店の入口に、「店員は感染対策にマスクをしていますが、マスクの下は笑顔です!」と書かれた大きなポスターが貼ってあった。思い返せば最近、いろんな店でよく見るような気もする。
これもまたマスク必須時代の新キャッチフレーズなのだろう。しかし正直なところを言えばその時、なんだろう、少し気持ちの悪いポスターだなと思ってしまった。これは誰に向けた、どういう効果のある掲示なのだろうか。
もちろん意図するところは解る。顔が隠れていても、きちんと笑顔でおもてなしの心をもって接客していますよ、ということだろう。しかし、なかなかどうして妙に引っかかる文章なのである。
「感染対策にマスクをしていますが、マスクの下は笑顔です!」この言い回しには、明らかに前提として言外の意味が含まれている。即ち、「本来ならマスクなどせず笑顔を見せておくべきなのですが、感染対策でやむを得ないのでご了承ください」ということであり、そこには笑顔を見せないことが重大なマナー違反であり、クレームを受けてもおかしくない事なのだという前提が存在している。そしてそれが、感染対策という命にすら関わる重大事よりも上の、最上の概念として存在してしまっている。
笑顔ってそういうものだろうか?売り手と客という関係性に長らく横たわる、日本社会の宿痾が見え隠れしている気がしてならない。
まあ、でもそこを深掘りしても詮ないことではある。実際客側としてみれば、ふて腐れたような対応をされるよりは笑顔が良いに違いないのだから、それはそれでいいのだろう。
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まずなにより、自分自身が捻くれすぎなのかもしれない。仕事としてマナーとして、決まり事として画一化された笑顔に何の意味があるのかとも思うが、笑顔そのものは決して悪いものではないのは確かだ。ベタな話ではあるが、たとえ作り笑顔だとしても、無理矢理に口角を上げているだけで自然と気持ちが上向いてくるとも言う。
このところ気持ちが沈むことも多い。ここはひとつ、「マスクの下は笑顔です!」をもう少し素直に受け取ってみよう。ふとそう思った。
次の電車を待つ地下鉄のホーム。マスクの下で、思いっきり口角を上げてみた。表情筋が外側に引っ張られ、気持ちも自然と外側を向き視野が広がる。確かに、悪くない。
通勤客で混み合う地下鉄の中、僕はひとり口角を不自然に引き上げて笑っている。すれ違いざま、僕に視線を向けてくる人も勿論いる。しかし今僕が、キングダムの王騎将軍的な顔をしているとはまさか誰も思っていまい。冒頭の話ではないが、もしマスクをしてなかったらこれ以上ない不審者である。周囲の人に避けて通られること請け合いだが、誰にも悟られることはない。なるほどこれがマスクの下の笑顔。ささやかに、日常の中の非日常を体験している気分になった。快感すら覚える。
ふと、一様に無表情で俯きがちにスマホなど見ている周りの人たちが、本当はみんなマスクの下が笑顔だったらどうだろうと考えた。なんというか、すごいディストピア感だと思った。
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あ、ついでに全く関係のない余談だが、写真を撮るときにチーズ!って言うのは、口角を上げさせ笑顔を作るためだろう。
しかし、多くの日本人がいわゆるジャパニーズ発音で、最後のズにしっかりアクセントを置いて、チー「ズ」!って言ってないだろうか。そうしたら、ちょうど口を窄めたおちょぼ口の状態でシャッター切られることになるよね。
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