表現者と指導者。
最近はコロナの時期という事もあり、人の流れを生み出す表だった活動の一切を控えているのですがその分指導者として日々多くの音楽と向き合う日々が続いています。
早いもので今のミュージックスクールに所属させていただいて来月で一年。
指導しながらも沢山のことを学ばせて頂きました。
ほぼ10年前に自身でボイトレを始めたのですがここ3.4年はやっていませんでした。
ですが有り難いご縁のお陰でまた新たに指導者を再開することになりました。
スクールの看板を背負った形のトレーナー。講師。指導者。
全てがオリジナルではまかり通らない。スクールの方向性や、先輩講師陣との連携、常に求められている不足している指導者としてのスキルや知識の向上。
指導者としてやっていてものすごく感じるのは
「やはり僕はミュージシャンではなくアーティストなんだ」ってことです。
僕が歌や楽器を鳴らすにあたって一番大事にしてきたことは
「ハート」「ニュアンス」「間」「フィーリング」
まぁ歌に関しては10代の頃しっかりと基礎を学んだのでその上にそれがあるのですがギターに関しては本当に独学なので知識がとぼしい。
そこが僕のダメなところだったんでしょうが、アーティストとしては逆に良かった部分でもあります。
でも今の立場では全然ダメなことに間違いはないのです。
僕は中学生の頃は進学先として音楽の専門学校(エレキギター)を渇望していました。でも、すったもんだ色々あり普通の高校に通いバイトとバンド活動に明け暮れる中で「やはり専門学校には行きたくない」と思うようになりました。
それは完全に僕個人の偏見ですが、専門学校に通ったというギタリストの方々は「なんかみんな一緒のギターソロを弾いていて個性がないな〜。このコード進行ならもっと良いメロディーが乗るのにな〜。」って高校生ながら感じてしまったのです。
その高校生の僕が感じたカッコよくないフレーズこそ
「ペンタトニックスケール」だったのです。
ギターは常に弾いていましたがボーカルに専念するようになり、結果的に学んだのはボーカルの基本です。
ボーカルの基本に関してはめちゃくちゃ真剣に人生賭けて学んで来ました。作曲に関してはクラシックからメタルまでブラックミュージック以外は本当に沢山の曲を聴き漁りコード進行とメロディの妙を自分自身で感じ勉強してきました。今や作曲の基礎などよく分からないまま通算100以上の楽曲を世に放って来ました。
作詞に関しては22歳から2年間レコード会社のディレクターさんに鍛え上げられ莫大な数の歌詞を読み漁り研究を重ねました。いまだにその途中ですが。。
そして今現在必要とされ、求められているものは「ハート」や「フィーリング」の前に
「理論」や「基本に基いた技術」なのです。
その先にやっと「ハートやフィーリング、感覚、ニュアンス」なのです。
歌以外は僕に最も縁遠いもの。指導者として必要不可欠なもの。今必死に勉強中です。勝手な偏見で忌み嫌っていたペンタトニックスケールも他の音楽理論も多く覚えました。だけど僕は今、指導者として自分が持ったアドバンテージを物凄い感じています。それはミュージシャンではなくアーティストとして奏でてきたからこそ、音に込めるべき大切な表現の仕方や、その些細な表現を感じられるという部分です。
ただそれを表現するのに基本や知識は絶対に必要なのです。
だけど理論や知識でいっぱいになった頭ではハートの部分や1番大切なフィーリングを見落としがちになるのです。
バックバンドやスタジオミュージシャンとしてやっていくのであればそれでいいと思うし、むしろそうで有らなければいけないとも思います。全てではないけど。
ただ僕は音楽ってのは聴いてくれる人がいて成立するものだと考えているので、心を無くした技術だけの音を何とも思わないのです。僕自身、いくつかのレッスン所や養成所に通いましたがそこで出会したのが
「うまいけど、で?、何?」という音の数々でした。
僕は今勿論基本を指導します。伝えます。教えます。
だけど絶対に無くてはならないのが、心の躍動 です。
ただ歌わされてる声に感動は生まれない。ただ弾かされている音に感動は生まれない。そして技術をひけらかすだけのプレイに心は震えない。
誰かと共に奏で、誰かの喜ぶハートの為に鳴らす音こそ僕が伝えたい音楽。
勿論音楽に正解も不正解もないけど、僕は音楽の基礎と共に心を揺らす技術やテクニックも伝えていきたい。
それがアーティストとしてやってきた者としてのもうひとつのライブの形だと思う。
バンドは難しい。本当に難しい。
少しでも心が束になれなければただの細い枝。
若い力が、力強い束がどんどんと時代を席巻していく。
僕自身まだ表現を辞めはしないけれど40を目前にして沢山考える。
みんな音楽を聴くけど、一体何を求めて音楽を聴くのか。何に心を揺さぶられるのか。
それは時に突き抜けた技術かもしれない。特に今の時代は。
だけど僕はそれだけじゃないと思う。
それは その音や声をどうしても奏でたいと思った、抑えても抑えきれなかった衝動が鳴らした音や声にみんな心を震わされそれを求めるんだと思う。
突き抜けた技術も考えてみればそういうものだと思う。
根っこに無くてはならないのは技術の前にハートだ。
僕は熱くも楽しくも悲しくも優しくも激しくも心を何よりも大切にした音を自分自身も奏でたいし伝えようと思います!
さぁいこう。
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