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地平線

いろんな事情で、在宅勤務中@金曜日の午後。久々にワイドショーを見た。一応、自分もメディアに関わる仕事をしている中で、この1年は「表現」に対して、考えさせられる1年だった気がする。4月から6月は「不要不急な外出を控えましょう」と呼びかけられた一方で、映像で目にする観光地は孤独を連想させるような「人はいません」というアナウンスとテロップ。もちろん、そこに人が行かないことで発生する損失や犠牲はあるものの、本来であれば「観光地に人はいません、みなさん、その調子です」と称えることが伝え方の1つだった気がする。GO TO トラベルに対しても「一時停止を国民が望んでいる」とされているが、リアルな声は「どれだけお得であろうが本当にそう思っている人は利用しない」ということなんだと思う。つまり、選択肢は「個人」にある。こうやって「世論」ということを考えると、その答えを掴むことは雲をつかむようなことで、それなのに、なぜ「国民の声」とかいうのか・・・。ということを考えた時に思い出したのが、この本。

1920年代に書かれた本ではあるが、世論がどうつくられていくのか?ということが書かれている。自分の頭で追いつけていないところが多々あるものの、この中で、「人を惹きつけるのは”不安”や”人の不幸”」的なことが書かれているのが印象的だった。自分なりに、解釈すると「いい話より、悲惨なニュースの方が人を惹きつける」ということ。映像は特に顕著で、今年で言えば、見たまま不安な気持ちになる新型コロナウイルスの画像がネットやテレビで、バンバン映し出されたのが、まさに、その例ともいえる。もちろん「見たくない人は見なければいい」ということが、ここまでの流れだと当然の「選択肢」ではあるが、それを「見てしまう」というのが、この誘導のアプローチのミソなんだとは思う。

情報を聞いてもらう、見てもらうために、まずは触れてもらうための入り口は必要であるのは分かるが・・・何か「違和感」を覚える。

多様性の時代の中で「マス」という考え方よりも、もっと「細分化」した情報や提案が必要な時代になってきていると思う。なので、不安や恐怖、不幸といった「入り口」で人を惹きつけようとするのは、個人的には「違和感」でしかない。加えて言えば「速報」の扱い方も近いところがある気はする。

自戒の念を込めて、自分が関わるものは「生き方」や「暮らし」の選択肢につながる新しい価値観を提案できるようにしていきたい、と思い直した金曜日の午後@在宅勤務でした。

明るい明日がきますように。



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