わたしは、どうしようもなく、親不孝である
「今日のヨーグルトは?」
日本にいたとき、母は毎朝わたしに、そう尋ねた。
というのも、当時無職のわたしが唯一できる親孝行だったからだ。
被害者A
わたしは、恵まれた家族のもとで育った。
おこりっぽいけどおもしろくて、すぐ人を笑わせようとする父
ダイエットに挫折した回数は数知れず、でも毎日なにかしら勉強をしている努力家の母(いまはツムツムにはまっている)
ちょっとちゃらい弟と、最近はだいぶ歩くのがゆっくりになってきたじいちゃんとばあちゃん
至ってふつうの家族だけど、いまの日本でふつうの家族であることがどれだけしあわせなことか、わたしは知っている。
そんな中でいちばんわたしに苦労をかけられている、被害者Aが、わたしの母である。
「やりたいことをやればいい」
生まれてから、母に何度この言葉をいわれただろうか。
たぶん、「ばか!」とか「はやく宿題やりなさい!」とかより圧倒的な数である。
余談だけど、わたしは母に「はやく宿題やりなさい!」といわれたことは、覚えている限り、一度もない。
というのも、わたしのあまのじゃくな性格を理解しているため、かえって言わないほうが「なにかある、これはやばい」と思わせて宿題に取り組むことを知っていたのである。
母は、わたしが「やりたい!」といったことを、なんでもやらせてくれた。
わたしが小学生のとき、「水泳を習いたい!」といったら二つ返事でやらせてくれた。
途中でこわいコーチに代わってしまい、何度もやめたいと思ったが「辞めてもいいよ」といわれると、あっけなくて、くやしくて6年間続けた。
わたしが「ピアノを習いたい!」といったときも、「バレー部に入りたい!」といったときもそうだ。
「軽音部に入りたい!」「塾に通いたい!」「大学を受験したい!」「公務員の予備校に通いたい!」…
母は、わたしに、いったいいくらお金をつぎ込んだのだろうか。
考えただけでおそろしく、もうしわけなく、圧倒的な自分の無力感でおしつぶされそうになる。
はたらくかあちゃん
母は高校を卒業してすぐに働き始め、初任給をもらったときからずっと、お金を貯めている。
母がお金を使うときといえば、ときどき母が大好きな、中にチョコレートが入っているアイスクリームを買ってくるくらい。
あ、あと映画によく連れて行ってくれる。
お金を使うときといったらそのくらいしかない。(たぶん)
一度だけ母に、なんでお金を使わないの?と聞いたことがある。
すると、
「おかあさんは、仕事しかしてこなかったから、あそび方がわからないんだよね~。
だから、いろんなことをやってる娘を見てると、自分もいっしょにそれをやってる気分になるの。
娘がなにかがんばってたり、新しいことに挑戦しているのを見るのが楽しいから、娘がわたしの趣味みたいなもんかな~
だから、もっと新しいことをやってみせてほしいし、いろんな景色をみせてほしい」
どうしようもない娘
わたしは、この前の3月末で公務員の仕事を辞めた。
母のお金で公務員の予備校に通い、大学3年生のときから必死に勉強して、やっとの思いで公務員になったのに、たったの2年間で辞めた。
辞めようと決めたのは、1月のはじめだった。
朝起きたら、体がおもくて、思うようにうごかない。
かなしくないのに、なみだがでる。
こころの奥になにかがつっかえていて、せきばらいをしても、とれずに、ずっと残っている感じがした。
いつもは毎朝ごはんをいっぱいたべるわたしが、その日はひとくちもたべようとしないので、母が「今日は仕事、休んじゃおっか!」といった。
力が入らなくて、ふにゃふにゃで立っているわたしを、力いっぱい、抱きしめてくれた。
はずかしいけど、うれしかった。
きもちが、軽くなった。
こころの奥の、まっくらで深いところで、ひとり体育座りでちぢこまっていたわたしを、スッとこっちの世界につれもどしてくれた。
きみに、仕事をあたえよう。
そんなこんなで仕事を辞めて、すこし無職の期間があった。
家にいてなにをするわけでもなく、1日中朝から晩まで、ただ座っていたわたしを見かねて、母はわたしに仕事を与えた。
すこしえらそうに、腕を組んで、自分の部屋のすみっこに座っていたわたしの前に立って、こういった。
「きみに、仕事をあたえよう」
ちょっと、わらってしまった。
なんだかすこし、おかしかった。
その、仕事というのが、
「朝食のヨーグルトをつくること」
母とわたしは、かれこれ何十年も、朝食には必ずヨーグルトをたべる。
それは、プレーンの無脂肪ヨーグルトに、バナナやりんご、キウイなど、その朝にあった季節のフルーツや、プルーンなどのドライフルーツ、ときどきナッツ。
もうすこし甘さがほしいときは、はちみつをかけるときだってある。
とにかく、その朝の気分で入れる具材をチョイスしてつくる、オリジナルのヨーグルト。
わたしが働いていたときから、このヨーグルトをつくるのはわたしの仕事だったけど、仕事を辞めたと同時につくるのもやめてしまった。
さっそく次の日の朝から、またわたしの特製ヨーグルトづくりが始まった。
母があさごはんをたべる時間につくるから、ヨーグルト職人の朝ははやい。
無職なのに、毎朝7時に起きて、ひたすらヨーグルトをつくった。
といっても、大きなカップに入ったヨーグルトから、ひとりぶんずつ取り分けて、その日の朝の気分で、フルーツを入れるだけのこと。
久しぶりにたべた、フルーツたっぷりの特製ヨーグルトは、それはもう、このうえなく、おいしかった。
「きょうのトッピングは、なににしようかな」
「りんごを入れてみようかな、シナモンもかけたらおいしいかも」
毎朝たのしかった。
仕事をしていたときは、朝が来るのがこわかった。
仕事を辞めても、だいきらいな朝が来るのがこわくて、お昼過ぎまでねむっていたわたしだったが、母のヨーグルト職人になって、朝がたのしくなった。
それからは、毎朝7時に起きて、母のヨーグルトをつくり、あたらしいことに挑戦した。
趣味程度にやっていたブログを、本格的にはじめてみたり、文章を書くのが好きだったので、クラウドソーシングでライティングの案件を受けたりした。
こころとカラダを強くしたいと思って、筋トレとランニングを始めた。
ツイッターでたまたま「ならみおさん」をみかけ、「いなフリ」という講座に参加した。
すると、たくさんの、すごくて、おもしろくて、魅力的な人たちに出会えた。
あいかわらず、「やりたいことをやればいい」
わたしは、今年おおきな挑戦をしている。
それは、ワーキングホリデーで、オーストラリアに来て生活していることだ。
こどものころから母と映画を観るのがすきで、こどもながら洋画や海外ドラマをたくさん観た。
母は字幕で観ていたから、なにをいっているのかさっぱりわからないし、漢字を読むこともままならなかったわたしは字幕も読めず、まったく映画の内容が理解できなかった。
それでも、たくさんの美しい景色を観た。
ニューヨークの大きなビル、タイのコムローイ祭り、フランスのエッフェル塔の前でバゲットをたべるオシャレな女性。
海外にあこがれ、「いつか海外で生活してみたい!」と思うようになった。
就職して、一度はあきらめた夢だったが、
仕事を辞めたいま、いま、いまやるしかない!
と、あのときの思いがむくむく、めきめき、音を立てて、わたしの胸をつきやぶった。
「おかあさん!わたし、オーストラリアにいく!!」
わずかにもらった退職金を使って、ワーホリビザを取って、オーストラリアでの仕事を決め、航空券も取って、それから母に伝えた。
正直、反対されると思ったが、母はあいかわらず
「いいね!いってらっしゃい」
母は偉大である。
ときどき、「わたしって大切にされてないのかな?」と思ってしまうが、実は見えないところでめちゃくちゃ心配しているのだと、こっそり父が話してくれた。
ずっと、約束を守らせてほしい
そんなこんなで、わたしは今、オーストラリアに来ている。
ずっと夢だった「海外で生活すること」を叶え、英語をいう言語を学び、英語を話す人々とコミュニケーションをとり、オーストラリアの文化を学び、ほかの国のたべものを食べ、たくさんのギャップを経験している。
海外旅行が趣味で、これまでいろんな国を旅したが、これでまたひとつ、知らない世界を知った。
こっちでの生活に慣れてきたら、今度は別の仕事にも挑戦したい。
シェアハウスにも住んでみたいし、ほかの地域にもいってみたい。
たくさんのことを経験したい。
そして、「いまはこんなことをしてるよ」「きょうはこんなところにいったよ」って、母に伝えたい。
わたしは今年の12月に日本に帰る。
それまでに、めちゃくちゃビッグな女になって、母を驚かせようと思う。
そして、家に帰ったら、またわたしにヨーグルトをつくらせてほしい。
どうしようもなく、親不孝のわたしができる、唯一の親孝行だから。
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