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不安になっても大丈夫


多くの地域で緊急事態宣言が解除された。
しかしながら、終息したわけではなく、感染拡大をおこさないように3密(集・近・閉)などに気をつけながら、新たなライフスタイルを作り上げていく必要がありそうだ。

だって完全にウイルスは完全に終息はしないだろうから。

もしかしたら、コロナ関係の報道が減り、感染者が新たに確認されてもニュースにならず、、ということになれば社会的には終息(忘れ去られる)することもあり得るのかもしれない。

一方で、ウイルス自体はどんどん変化を遂げたりする可能性もあるし、新型コロナウィルス以外の別のウイルス感染も今後おきてもおかしくないという懸念もある。

となるとコロナ(その他のウイルス)に勝とうとしなくてもいいのではと思ってしまう。「#コロナに負けるな」と良く聞きますが(実際は目にする)、コロナと勝ち負けを争わなくてもいいよね。

たぶん、この感覚は皆さんもお持ちなのではないかと思う。

今までの生活を守るために、あるは今までの生活に戻るために「コロナに勝とう」という文脈は、昔の賑わっていた街の輝きを取り戻そうという地域活性化という言葉と根本の考え方が同じのような気がする。(#本当に活性化必要?)

僕たちが行きたい場所・向かう場所は過去ではない。

コロナ禍を経験し、今後もウイルスによる感染が予想される僕らは、ウイルスに勝ち負けを挑む以外の道はないだろうか。

「無敵」とは圧倒的に強くて、向かうところ敵なしの力ではなく、そもそも敵がいない状態なのだ。

だからコロナに勝たなくてもいい。そんな道もあるよね。

▷自分自身の不安にやさしく気づく


とはいえ、新型コロナウイルスに関して「勝たなくてもいい」とはいいつつも、僕も不安はある。

「コロナに負けるな」ではなく「不安に負けるな」と言いたくなってしまうが「不安に飲み込まれるな」という表現をあえてしたい。

なぜならば「不安を感じること」はとても正常な感情だからだ。

そもそも、人間は未来を予測し、それだけでなく過去も振り返ることができる存在。この能力は他の動物にはない。あったとしてもせいぜい半日か1日だと言われている。

だからこそ人間は、様々な事実から、考えうる対策を立てたり、同じ失敗をしないように改善したりできる。これは優れた能力である。

しかしながら一方では『考えすぎてしまう』という側面もある

つまり、考える事ができるからこそ、未来に対しては、不安や過度な期待を抱くことがあるし、過去に対しては後悔や過去の栄光にとらわれることがある。頭の中は常に、過去や未来を行き来する。今、ここに生きているのに。

「新型コロナウィルス」の報道をみると、この先どうなるんだろうと、想像する、そして不安になる。
 

けど大丈夫

「不安になる」ことは、人間として正常なんだよ。

ただ、常に頭の中が未来の不安でいっぱいで、不安に飲み込まれると辛くなってしまう。
 
そういう時はまず、不安な思いを持っていることに自覚的になること。

「今、不安に感じている、私」に気づくこと。

そして、その不安はどんな不安なのか、できれば観察してみよう。

感染して重傷化したらどうしようという身体的な不安なのか、
あるいは感染が発覚し、自分が他者に映していたら周りからなんて言われるのだろうという社会的不安なのか、
感染拡大の影響で仕事が今までの様にいかないという経済的不安なのか、

自分が何に対して、どんなことに不安を感じているのか、気づいて見ましょう。

そして、不安になってる自分を責めないで

「不安なんだもん、私、(テヘッ)」とやさしく受け止めてあげましょう

▷「わからない」ことに対して

新型コロナウィルスの報道を見聞きして、不安のほとんどは「この先がわからない」ことから来るのではないかと思う。
一ヶ月後どうなっているのか、半年後どうなっているのか、未来を考える事ができる人間が「予測できないこと」に出会うが故に不安に感じるのではないか。
 
「わからないこと」を「わからないこと」として受け止めれることができれば、苦しみも不安も悩みも少しは軽減されるのだと思う。

けど「わからない」ことを「わかろうとする」と私たちは途端に苦しくなってします。

けど、ちょっと考えてみよう。


そう考えてみると、僕ら人間には

もっともっと「わからないこと」がある。

それは私たちの「いのち/死」だ。

何故この世に生まれてきたのか、いつ死ぬのか、どんな病気にかかるのか、死んだら、どうなるのか。

わからない、

けど私たちはちゃんと生きてる。


だから、わからなくたって大丈夫。

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