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葬儀というグリーフケアの場

▷少人数での葬儀

先日投稿した通りに、コロナ時代における大慶寺の葬儀は「寺葬」の割合が高くなった。

そして参列者もごくごく数人のこともある。葬儀の善し悪しは、参列者の数ではない。少人数でもとても「よい葬儀」が勤められることもある。

「よい葬儀」というと語弊があるが、僕は葬儀の時に大切にしていることがいくつかある。その中の一つが「大切な方と自分自身との関係性を整えて仏様の世界へ送り出す」ということ。

そのために枕経、通夜、葬儀と遺族の方に「問い」を投げかける。もちろん悲しみや苦しみ寂しさなどは、すぐに拭いきれるものではない。だからこそ、枕経・通夜・葬儀の時に自分自身が感じている今の気持ちにまず気づいてもらうことが大切だと思っている。

グリーフという言葉がある

グリーフは大切な人、ものなどを失うことによって生じる、その人なりの自然な反応、状態、プロセスのことです。(リヴオン)

どんな感情も反応もおかしなものではない。あたりまえに起こること。
そしてグリーフは乗り越えるとか消えてなくなるものではなく、抱きながら歩むものとして見られるとすこし楽になるかもしれません。

だからこそグリーフを抱えやすくするために葬儀や供養がある!と私は思う。


なので、僕は実は少人数の葬儀を推奨している面もある。

交友関係が広かった方などは、付き合いで多くの方に参列していただくこともある。さらには亡くなった方のご子息の会社の関係の方などにも参列をいただくこともある。

そのことは遺族にとって嬉しい反面、大切な方と向き合うことよりも参列者をもてなすことに意識が向いてしまうということも起こりうる。そして故人との関係が濃かった方と間接的な関係の方が場を共有するとなると、会場に若干の温度差が生じるときもある。

なので少人数での葬儀は、亡くなった大切な方と向き合うということにおいてはとてもよい環境ではないかと思ってる。無理に毅然とした態度を取る必要もなく、ありのままの自分自身で送ることができるからだ。

とはいえは僕も1年の間に、祖母と義父と父を送った。父の時には500人以上の参列者が弔問にきてくれて、その中で自分の知らない父の存在を知ることができたし、なにより励まされた。なので大人数だから悪いというわけではない。
ただ、父と向き合う時間がとれたかというと、答えはNOだったかもしれない。そのときは父と向き合うというよりは、粗相なく滞りなく進行することに意識が向いていた。

どのような葬儀を行いたいか。送られる側、送る側双方に事前に考えておく必要がある。
個人的には、現在環境を鑑みると、お通夜には関係のあった多くの方に参列いただき、葬儀は内々で行うというやり方もよいのではないかとおもう。

「大切な方と自分自身との関係性を整えて仏様の世界へ送り出す」ということが葬儀において大切な要素だと思っている。

▷コロナ時代の葬儀

しかし葬儀の役割は「関係性を整えて送る」ことだけではない。

大切な人との思い出や今感じている悲しみや苦しみを遺族やほかの参列者たちとで共有するという役割もある。

コロナ時代の葬儀は『共有』が圧倒的に欠如してくる。

そしてこのシェアの欠如はグリーフを強いものにさせていき、身体的・社会的・精神的・スピリチュアル的な様々な反応が出てくるのではないかと思う。

それに加え、生前交友関係のあった人たちを呼んで盛大に葬儀をしてあげたかったのにできなかったという後悔や、孫さえも呼べなかったという施主側の後悔はもちろん、参列者側も「お世話になったのにお別れもできなかった」という後悔が残る。
 

▷大慶寺のコロナ禍の葬儀(リライト)

だからこそ、今考えていることがある

①儀式のオンライン化
②密葬・本葬の仕組み
③大切な人を偲ぶ対話の場

儀式のオンライン化
一つ目は今できることとして①儀式のオンライン化だ。
ネット中継などで遠隔にいる人がオンラインで儀式に参加できるというもの。けどこれが解決策かとうとそうでもない。オンラインで参加できればよいが、シェアの欠如はのこったままだ。


②密葬本葬の仕組み
お寺の住職の葬儀や会社の社葬においては、密葬・本葬と分けることがある。密葬ときくと「家族葬?」「関係者にお知らせはしないの?」という疑問があると思うが、密葬は近親者などのみで行う荼毘式。
関係者には「密葬(荼毘式)は家族で行い、改めて本葬を行います」という案内を出すのが一般的である。
ただ、本葬をいつ行うのか?49日を過ぎて納骨はどうするのか?終息のめどが立たず改めて本葬を行いますとはなかなか言えないという課題も残りそうだ。

③大切な人を偲ぶ対話の場
3つめは本当の身内のみで葬儀を行い、コロナが収束した頃(例えば一周忌のときなどに)に「大切な人を偲ぶ対話の場」のようなお別れ会ができないかと考えている。
関係の濃い人たちが有志で集い、思い出話や、在りし日のことを共有する。また自分自身の今の気持ちを吐露する安心安全の場だ。
その時にmonk-facilitaterである僕は、今までの学びから進行役として務めることができる。
そして、何よりお寺は仏さまが見守る場。肩書きや社会的な地位は手放し、ありのままでいいよと認めてくれる場なのだと思う。

この「対話の場」は1周忌のような「供養」とは別ものとして考えている。供養は「家」が施主となり勤める。対話の場は「個人」が施主となり勤めるというイメージか。
もちろん供養+対話の場という組み合わせでつとめれるのがベストだし、さらにはお寺で「食事」なども対応できる。

お寺がお別れ会をやるの?

という疑問の声があると思うが儀式だけでなく、葬儀のあり方から考えれば、お坊さんこそお別れ会を運営できる、最適な人材なのだと思う。

こちらの「大切な人を偲ぶ対話の場」はNPO法人ESUNEともにプログラムを作っていく予定である。

オンライン配信・密葬本葬・対話の場も、もちろん希望があれば対応するというスタンスである。
大慶寺の檀家さんには無料で行ってきたいと思っているし、対話の場に関しては、要望があれば檀家さん以外にからも受け入れたり、出張もできるようにしていきたいと思っています。

また進捗状況をお伝えします。



 


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お寺の三男として生まれ、早稲田大学に進学するも、20歳過ぎて僧侶の道へ。 藤枝市に戻りNPO法人SACLABOや一般社団法人SACLABOを仲間と立ち上げまちづくりに励む。 お寺と地域の関係性のリノベーションを目指し活動している。
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